2005年12月12日

狙われない街

 実相寺監督作品第二段にして、セブンの名作「狙われた街」を想像させるタイトル。先週の次回予告では、事件が発生する街が北川町で、夕日に照らされる街をバックに立つメトロン星人。など、セブンの「狙われた街」とどういう関係にあるのか、興味津々でオンエアを見た。

 先日の実相寺監督作品「胡蝶の夢」とは異なり、幻想的な照明、背景は少なく、写実的な画面が多い。個人的にはコチラの映像の方が好みだ。とあるブログで昭和ウルトラ風という形容がされていたが言い得て妙だ。それでも、随所に出てくる冴えた構図、色使い、独特の(効果音を含む)BGMの使い方・・・引き込まれた。

 それ以上に、個人的に衝撃だったのが、今回の事件の舞台が北川町で、そこでは40年前に同じ様な事件が発生していた、という展開の中で、セブンの映像が使われた点。もちろんセブンは登場しないが、当時(40年前)煙草に仕込まれた紅い結晶体を調べるウルトラ警備隊の制服(といっても手首だけだけど・・・)や、飛んで逃げるメトロン星人を攻撃するアイスラッガー、そのドキュメンタリー的な映像が印象的だった(大人しい人が突然暴れ出すという事件の紹介)シーンなどで、セブンの映像がそのまま使われたことだ。

  セブンに撃墜されたメトロン星人が、実は親切な民間人の手によって助けられ、40年間(シーボースのいる!)怪獣倉庫で潜伏してきた、という展開は少し無理っぽい?という感が無くもないが、セブンでありマックスであり・・・ウルトラシリーズであるということなのだろうか。セブンの一つのパラレルワールドとしてマックスが派生したと言ってもいいのだろう。旧作へのオマージュで、ここまで見事な描き方には感嘆せざるを得ない。

 他にも印象的なカットは、突然暴れ出す人々に当たる赤い照明、とか、そういえばウルトラ警備隊の本部も暗かったが、何故か妙に暗いダッシュの本部(ベースタイタン)、とか、もしかして同じ場所なんだろうか?という寺院、そして今や時代に取り残された感のある薄汚れた集合住宅、ちゃぶ台を囲んで会話するメトロン星人とカイト・・・。そして、ラストの夕日をバックに対峙するメトロン星人とマックス・・・。鉄橋のある川の水面に映るメトロン星人は当時と同じだが、北川町にはかつての繁栄または象徴のような工場街はもう無いようだ。

 というように、セブンとのつながりのあるストーリー展開や、それを随所に思い出させる映像だけでも満足度はかなり高いし、メトロン星人の"円盤"(こういう表現がふさわしいだろう)の「あの」飛来音を聞いたときなど飛び上がってしまったのだが、さらに、本来のストーリーでも唸らせてくれるのが今回のテーマだ。

 携帯という便利なツールを得て、傍若無人な振る舞いが当たり前のとなった現代の若者達への批判・警鐘・・・と書いてしまえば陳腐なテーマかもしれないが、まさに現代を象徴している一つの様相ではある。そして、そこに対比して描かれているのが、かつての北川町ではメトロン星人の謀略に煙草が利用されたという点。劇中二回ほど、楢崎刑事(六平直政さん)が煙草を吸おうとして「禁煙」に気付いてやめる、というシーンがある。かつての北川町では煙草が一般大衆への謀略の媒体になり得たが、今は「禁煙」のためになり得ない、ということでもあるが、それは「理性・知性のある人間なら"禁煙"という公共の約束事を遵守する」というコトの裏返しでもある。かたや、そのような公共の約束事を全く護らないのが、現代の若者の公共の場での携帯操作や化粧直しであり・・・まさにメトロン星人は人類の弱み?を知り抜いている。

 セブンの時は「人の信頼関係を利用するメトロン星人は恐ろしい侵略者だった。だがご安心下さい。これは遠い未来のお話です。なぜならば、今の私たちは、そこまでお互いのコトを信頼していませんから」というようなナレーションで幕を閉じる「狙われた街」だったが、果たして40年後、メトロン星人に狙われる信頼関係を確立するどころか、対人関係をツール越しにしか築けず、傍らにいるはずの人すら居ないように振る舞うコトが当たり前の、まさに「狙われない」・・・狙う必要のない社会が出来上がっていようとは・・・。そういう若者を描写するシーンに被る効果音が猿の鳴き声というのは、かなり辛辣だ。

 ラストの楢崎の独白「できるなら俺も連れていってもらいたかった」、そして「メトロン星人は地球を見限ったんだ」というカイトの台詞。まさにやるせない結末だが、その後ミズキは「でも・・・」と何を言おうとしたのだろうか?その心とともに、「宇宙人や怪獣より怖い」サル・・ならぬ人間の犯罪に怒りを燃やす楢崎刑事の存在そのものが、救いと思うしかない。その一方、ビルの屋上の青空がバックでは、自滅する一方だとメトロン星人に喝破された人類への悲壮感が全く感じられない。これがまた、このストーリーの恐ろしいところだろう。

 地球人の姿でいるときのメトロン星人を寺田農さんが怪演。さすがに「見ろ、人がゴミのようだ」は無かった(当たり前だ)が、人なつっこいようで憎めないのだが、信用できない不気味さのあるメトロン星人の雰囲気が非常に良く出ていたと思う。最近のマックスの脇役のキャスティングは冴えている。

 メトロン星人は巨大化したものの、マックスと全く戦うことなく円盤に乗って去っていった。呑気に手を振っている場合じゃないぞマックス、という突っ込みはともかく、BGMには赤蜻蛉を流すし、ダッシュバードどころか必殺武器すら登場させないとは、また何とスポンサー泣かせなお話を作ったモノよ、と思う。実相寺監督のネームバリューならでは、だろう。今のウルトラシリーズで、こういうエピソードを撮ることができるスタッフが育っていって欲しいと思う。

 ということで、個人的にはマックス白眉の一本、だった。

(追記)
今回の脚本も担当された脚本家の小林雄次さんのブログ「小林雄次の星座泥棒」に「狙われない街」のライターから見たコメント裏話が少し紹介されている。それによると、最後のミズキの台詞には、準備稿では続きがあったらしい。それをああいう形でカットしたのは監督の意図だという。

 コメント欄のreal氏にも「でも・・・」の後に演出効果があると指摘を受けた。推察するに、ミズキの台詞はやはり「人類も悪いところばかりではない」という内容だったのでは。それを、フィルムを強引に千切るように(あるは、フィルム切れでフィルムの終端に達してしまったように)台詞の前でカットしているのだから、監督の意図たるや明らかだろう。

 それでも、我々はメトロン星人の見捨てた「狙われない」星で生きていくわけで・・・。
posted by おだまさ at 01:47| Comment(2) | TrackBack(2) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ああ、おまえもかあ・・・・。
偉そうなこと語ってるわりに、アレに気がついてねえとはな。

>結末だが、その後ミズキは「でも・・・」と何を言おうとしたのだろうか?

これで終わってるんじゃねえんだよ。
相手は実相寺監督だぜ。甘く見るなよ。
最後のミズキの台詞のあと、サブリミナル効果がほどこされている。
ビデオをコマ送りして観るとわかるのだが、そこには・・・・!?
まあ、自分で確認して自分なりの回答を得られたら
またここで偉そうに語ってくれ。
もっとも、録画してない、消してしまった、デッキにコマ送り機能がない。
となると、確認できんが。
Posted by real at 2005年12月12日 15:45
エラソな文章をスルーもせずにコメントしてくれて、ありがとう。追記してみたけれど、どうですかな?

#だから救いと思うしかない、のですよ。

できれば、real氏の感想も聞かせて欲しいモノです。
Posted by おだまさ(管理人) at 2005年12月12日 23:06
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#24.狙われない街
Excerpt: 実相寺監督によるメトロン星人再登場編。前回の「胡蝶の夢」とは違い、今回の実相寺ワールドは昭和ウルトラ風。もちろんちゃぶ台を挟んでの会話シーンも再現されているので、オールドファンにはたまらない作品だった..
Weblog: ULTRAMAN MAX.blog
Tracked: 2005-12-12 13:58

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