2008年10月16日

ゲド戦記V「アースシーの風」


 ゲド戦記の1巻「影との戦い」を初めて読んだのは、たぶん二十歳頃。自分自身の虚栄が生み出した影を追いつめ、それを受け入れ、一つの存在として勝利するゲドの物語には、「老いを待たずして竜王と大賢人の称号を持つ男の若き日の話」という書き出しと相まって一気に引き込まれていった。

 そのイメージがあるものだから、四巻の「帰還」で全ての力を使い果たし、「弱き存在」のようになってしまったゲドを見るのは辛く、全編の重苦しい雰囲気と相まって、受け入れることができなかった。そのため、それ以降をずっと読んでいなかったのだが・・・外伝に興味ある話が載っているということは聞きかじっていたので、意を決して読んでみることにした。

 「ゲド戦記外伝(アースシーからの物語)」は、冒頭の「カワウソ」こそ、「帰還」のような重苦しい感じはあるものの、ロークに学院が出来上がった経緯を興味深く語ってくれた。秀逸なのはゲドの最初の師匠オジオンの若き頃(というより彼の師匠)を描いた「地の骨」と、大賢人としてのゲドのサブストーリー「湿原で」。これらは、物語の重さと語り口の妙がバランスよく、そしてアースシーの物語の変遷を予感・感じさせるに十分な話だった。そして5巻「アースシーの風(もう一つの風)」へとつながる「トンボ」。アースシーの「今の」世界観に引き込まれて、一気にこの5巻にまで手を伸ばした。

 この「アースシーの風」はこの「トンボ」のすぐ後、「帰還」の十年後くらいの物語だ。ゲドはもはや大賢人でもなく大魔法使いでもないが、それでも隠しきれない何かを持つ存在(されど辺境に住む老人)として描かれていく。物語の語り部はハンノキ・・・ある意味でゲドと対照的な、また同じような主人公だ。もう一人の主人公が、死の石垣を壊そうとしたクモをゲドとともに倒し、ハブナーの若き王となったレバンネン。

 「影との戦い」以降の3冊では魔法、すなわち(男の持つ)知力により、己とその影との統合を描き、世界を全たきものになそうとするという物語であったのに、その考えそのものが暗く混沌とした情念的な世界(それは太古の力、あるいはまじない女などとして表現される)を締め出し、世界を不完全にならしめていたというパラドックスを生みだしたということが明らかとなり、おそらく振り切った振り子が大きく戻るように四巻「帰還」が描かれ、そして、ようやく均衡点ともいうべきところへ、この5巻で達した、と感じる。

 訳者も後書きで述べているように、5巻では「ロークの学院に象徴される知の世界も、・・・かつて無いほど相対化され」、それは世界を構成する様々な要素の一つでしか過ぎなくなっている。その反対に、かつてはロークの学院には女性は入ることができなかったという世界を壊すかのように、ハンノキとユリの永遠の愛、またゲドを思うテナーの思い、レバンネンを思うセセラクの想いに光が当てられている。

 そして、永遠に固定した暗黒の死後の世界は、知(魔法)を知った西の地方の人々が欲望の果てに永遠の不死を求めたが為に生まれてしまったと描かれる。その境目を壊し、生と死が解け合うことで世界という円環がようやく閉じられた。そして竜は去り、人間は残された。竜が去った国に魔法はまだ残っているのだろうか?この光の国にはもはや不要なのかもしれないが。

 この長い冒険の物語の最後は、ゲドとテナーの穏やかな会話で幕を閉じる。もしかしたらこの安堵感は、ある程度齢を重ねないと分からないのかもしれない、と思う。
posted by おだまさ at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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