2006年01月10日

あの戦争は何だったのか−大人のための歴史教科書−

 最近、本屋で新書のコーナーで立ち読みすることが多い。時事問題とか世相とか、そういうものについて書かれた書籍であふれているが、たぶんそういうところから今の世を理解するための情報あるいは指針?処世術?を得ようと無意識に思っているからではないかと思う。平積みされている本を見ると、次から次へ買いたくなってしまう衝動に駆られてしまう。どうも最近新書ブームがあるようで、僕も乗せられているのかもしれないが・・・そういう中の一冊。

 考えてみれば、昭和の太平洋戦争を論じた本は、実は全く読んだことがないという体たらく。去年は中韓反日デモや今も尾を引く靖国問題などがあり、戦後60年という節目にもあって、この戦争に関する話題が・・・うーん国内で盛り上がっていたろうか?

 それはともかく、いわゆる自虐史観や、その反動で極端に振れすぎているとしか思えない「つくる会」系の資料からは一線を引いた論が読みたいと思っていて、この本を手に取ってみた。

 やはり新書、といおうか、ボリューム的に緻密さにやや欠ける面があるという印象だが、おおむね太平洋戦争に至る流れ、敗戦となる流れとしての著者の主張は理解できた。つまり、太平洋戦争の開戦と敗戦を通じて、なぜ無謀な日米戦が行われたか、それを引き起こした日本人の国民性とは何か、という切り口で論じている。その一方、太平洋戦争の背景としてある日中戦争(あるいはその前後の国際情勢)については、「陸軍が強引似始めた軍事行動」的記述しかなく、本書の範囲外なのかもしれないが、ややもの足り無さがある点は否めない。

 この一冊だけであの時代、あの戦争を把握できるわけもなく、他の書籍も読んでみたいと思うが、一つだけ、ひっかかることが心に残った。これは非常に短絡的な発想で幼稚だとは思うのだが、去る6月の参院での郵政民営化法案反対から9月の与党圧勝までの流れと、その後の政治状況に関してだ。

 著者の主張では、太平洋戦争開戦への一つの大きなポイントに二・二六事件を位置づけている。つまり、このクーデターは未遂に終わるが、軍の持つ暴力性を政治家に植え付け、軍主導の政治体制あるいは軍部統制派への権力集中の道を開いた。また偏狭な視野の持ち主やイエスマンで軍中枢が固められ、広い視野を持つ有能な人材を放逐することにもつながった。この辺り、、昨年の参院での郵政民営化反対という(一種の)クーデター以降の政局と良く似ている様な気がする。権力が集中し、見境がなくなっていく一つの雛形があるのかもしれない。

 著者が問う問題の一つは、大本営発表という嘘の情報を信じ込まされた国民が、実際には苦しい生活環境にある戦争末期に、それこそ一丸となって軍に協力したという点に日本人という国民性が現れているのではないか、という点だ。痛みを伴っても改革は断行すべきだ、と言われれば、その通りと思って痛みを甘受して指導者層に追従する今の庶民(?)とて同じように思えるのは気のせいだろうか。

 総括として、著者は戦争中の指導者層(軍部エリート層)を、その先見性の無さ、無戦略さ、無責任さ故に厳しく糾弾している(天皇については発言せざる存在だが反戦の思いが強かったという捉え方だ)。このエリート層が(対外的な状況はどうあれ)無謀な戦争を引き起こし、多数の兵士を悲惨な死に至らしめ、多くの国民を困窮の極みへと陥れたのであるならば、その責任はたとえ死しても問われなければならないだろう。少し飛躍するが、そのエリート層が深く関与し、また一つの体制維持メカニズムとして機能していたのが靖国神社だろう。この点で、小泉首相の年頭の「理解できない」発言を批判する論者に対して中韓の反日イズムに屈するのか的批判はどうもポイントがずれているように思える。

靖国神社 千鳥が淵

 そう思いながら、先日の東京出張の折り、靖国神社と千鳥が淵戦没者墓苑を訪れた。門に金々の菊の紋章が輝く靖国神社と比べ、千鳥が淵戦没者墓苑のなんと寂しげなことか。
posted by おだまさ at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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