
豊臣秀吉が天下統一を成し遂げるための最後の大戦さが、この物語の主人公、九戸政実率いる九戸党との決戦だった。九戸城に籠城した九戸党はわずか5000人。総大将を関白秀次とし、総指揮官に蒲生氏郷、総奉行に秀吉の腹心浅野長政、徳川家康の代理井伊直政という上方軍の歴戦の将らの率いる豊臣軍は総勢6万5千人。これだけの戦力の差がありながら、城を落とすことができなかった豊臣軍は、卑怯にもだまし討ちの策を取り、難攻不落の九戸城も遂に落城した・・・。
九戸政実がなぜ太閤秀吉に反旗を翻したのか、勝てぬとわかっている戦さを何故避けることをしなかったのか、そのことを奈良時代から続く蝦夷の熱き心で語ったのが、本作となる。また、同じ高橋克彦氏の著作となる「火怨」、「炎立つ」と合わせて"陸奥三部作"と称されることもあるが、全ての基本構図は同じ、中央からの理不尽な征服に対する抵抗(そして敗残)である。
高橋克彦氏の手によるだけに熱い物語だ。主人公、九戸政実は武勇に優れ、義を重んじ、戦略に優れた武将として描かれる。一度として負け戦さをしたことがない武将なのである。最終的に政実に立ちはだかるのは、織田信長無き後に天下取りを果たさんとした豊臣秀吉。圧倒的な兵力で小田原の北条氏を倒した後、伊達政宗の牽制という意味も含めて奥州征伐軍を派遣する。
物語には九戸政実の属する南部の跡目対決という状況も絡んでくる。南部宗家信直が豊臣軍に援助を要請して、宗家に反抗する九戸党を殲滅しようとしたからである。秀吉は、武力で奪い取ることもなく日本全土の支配者を宣言し、陸奥の地をも勝手に支配しようとしている。漁夫の利を得、損得でのし上がってきた秀吉の理不尽さに、蝦夷である九戸党の闘いがなされるのである。
文庫版の第3巻で豊臣軍との攻防が描かれるが、政実に劣らず義憤を感じ熱くたぎる生を全うする武将が多く出てくるので、その意味でも最も圧倒的である。対する豊臣軍の武将は、偽りの和議を申し入れるというだまし討ちのような卑怯な手で難攻不落な九戸城を開城させるなど義を重んじる心は無く、その対比は九戸党の持つ蝦夷の心意気を我々に一層心地よく感じさせ、そして九戸政実という正史(勝者が書き残した歴史)に埋もれていった傑物の存在を力強く伝えてくる。
というように面白さに文句はないのだが・・・「火怨」や「炎立つ」と比べると、やや読み進めさせる強さが弱いように思う。何故か、と考えてみると、一つに敵方に魅力的な人物がいないことが有るだろう。「火怨」の坂上田村麻呂、「炎立つ」の源義家のように、感情移入できる敵方が本作にはいない。そのためなのか、特に中盤で、何故政実が南部の棟梁の地位を奪わなかったという点に(南部藩を護るためであると分かっていても)非常にもどかしさを感じてしまう。それは史実に基づく小説であるが故かもしれないが、政実が戦略に長けた優れた武将であると描かれるほど、ではなぜ南部宗家とならなかったのかというジレンマを感じてしまった。
そういう意味で、第2巻まではやや読み進みが止まるところもあるのだが、既に述べたように、豊臣軍との衝突もやむなし、というより豊臣軍を引っぱり出すことで様々な武将や兵が蝦夷の意地を見せた第3巻は、前記2作に勝るとも劣らない躍動感と、心を揺さぶられる思いを存分に味わうことができる。それはまた、生を全うすることでしか蝦夷の意地を貫くことができなかった武将達の哀しさを感じることでもある。
九戸城は落城した後、宗家信直が居城を移した程の城であり、それまでの山城から平野に築かれた平城の見本とも言える城であったそうだ。その城跡は国の史跡に指定されている。詳しくは岩手県二戸市のwebサイト内の"にのへの観光"のリンク先にある九戸城のページや九戸政実に関するページ、二戸市観光協会のwebサイト内の九戸城跡のページなど。
追記(2005年2月21日)
本書「天を衝く」について、原作者の高橋克彦氏が自著を語っているページが講談社BOOK倶楽部にあった。これは必読。
また、近世こもんじょ館という南部藩の情報をまとめたサイトに、「九戸政実は実は南部信直の家臣ではなく対等の大名であったようだ」という記事があった。勝者である信直の手によって、歴史の上では政実は主君に反逆した悪者に仕立て上げられたが、室町幕府の記録にはよればそうではないという。
これも正史という偽りをかいま見せる面白い研究成果である。
ラベル:高橋克彦
2、九戸城攻めに関する唯一の第一次史料とされる浅野家文書によれば、討伐軍が九戸城を包囲したところ政実は剃髪して降伏したとのことです。
そうすると一戦も交えなかったことになります。
政実英雄論者はこの重要な史料を無視しています。
3、政実が天下取りを目論んだとか、秀吉に盾突いたというのなら、徹底抗戦するのが筋でしょう。高橋説では政実が圧倒的に優勢だったことになっています。真実は、籠城側は包囲されれば兵糧を搬入できず、一方包囲軍はどこからでも兵糧を集められるので、攻城軍が圧倒的に有利です。ましてや秀吉は城攻めについては右に出る者のない名将です。その部下が城を包囲したのですから、ただ包囲するだけで戦わずして落城することは目に見えています。旧暦の9月初めは今の10月初め頃、米が収穫され、気候は涼しく、攻城は気楽にやれます。
4、当時誰でも菩提寺の坊さんの言うことを聞くという風潮があったとは歴史書にも書かれていません。
5、九戸城址は何度も発掘調査されましたが、被殺されたとみられる刀傷のある人骨が10体ほど埋葬状態で出ただけです。したがって九戸城落城のとき大量虐殺が行われたかのごとき説は根拠がないと考えます。
この十体ほどの被殺者が落城時のものだとしたら、怨み骨髄に徹していた南部勢が城内の九戸勢をめった切りにし始めたのを、上方の武将が止めさせ、その結果被殺者は少数にとどまり、かつ埋葬されていたということになります。
6、高橋さんは小説で九戸を蝦夷としているようですが、一方で高橋さんは政実を源氏であるとしています(Youtube「九戸政実」)。
7、高橋さんは小説の冒頭に「この小説はフィクションであり…」と記載したほうがよかったと思いますね。
とても興味深い内容のコメントで、ありがとうございます。勉強になります。
浅井さんがおっしゃられたい内容は概ねわかりました。6項を書かれているということは失礼ながらこの小説をお読みになっていないと思いますが、僕は歴史ファンではなく高橋克彦小説ファンという立ち位置で少しお答えします。
浅井さんはこの小説はまったくの『出鱈目で事実ではない』、そういう人物像を流布されては困るという義憤をお持ちなのだと思います。
確かに浅井さんが暗に指摘しているような、政実は単なる南部家の跡目争いで反旗を翻して自滅しただけの一豪族だろう、という点は、この小説でも、僕が「読み進める力が弱い・・・」と書いている中盤でのもたつき感と裏返しだと思います。
しかし、少なくとも、例えば秀吉が最前線で城攻めをしたとか、政実が秀次と斬り合いをしたとか、そういう荒唐無稽な嘘はこの小説には書かれていません。おそらくは一次資料に記されている「事実」(実際にそういうことが起こったという意味での)に反した記述はないのではないかと思います。
であるならば、実際に起こったとされる「事実」をどう解釈するか、が小説の醍醐味です。「事実」という点をつなぎ、当事者の内面を推測して物語を組み立てる、その結果が歴史小説であり、それは必ずフィクションの要素を含みます。これは高橋氏の小説構造の大きな特徴の一つですが、他の歴史小説も多かれ少なかれそういう要素があるでしょう。ですので、「フィクションと書くべきであった」という批判は当たらないのではないかと思います。
本件、面白いので、久々に別エントリをたてようかと思います。