2012年02月26日

牛込見附跡

 小石川後楽園の石垣の後は、神田川沿いを引き返して再び飯田橋駅へ。西口の方に回ると、牛込橋のたもとに大きな石組みが見えてくる。これが、牛込見附の枡形門の趾である。
牛込見附跡の石組み


 牛込見附は、江戸城内郭の田安門(今の日本武道館辺り)から伸びている「上州道(今の川越街道)」が通る、重要地点だったそうだ。見附とは、江戸城外郭にある出入り口で、敵の進入を発見、防止するための見張り番の常駐する門のこと。敵が進入しにくいように、四方を石垣で囲った空間に二つの門が直角に配置されており、そのような構造を持つ門は枡形門と呼ばれる。

 見えている石組みは枡形門にある巨大な櫓門の基礎とな石垣である。上の写真は、櫓門を出た所から枡形門を見ている、という感じのアングルのはずだ。交差点側から見ても、十分大きな石垣だが、牛込橋を渡って振り返ってみると、JRの線路脇からそびえ立つ、さらに巨大な石垣の様子を見て取ることができる。電車の架線よりも高く積み上がっているのだから、その高さがわかるというものだ。これが枡形門を支え、外堀の中にそびえていたわけである。
牛込見附石垣


 石垣のすぐそばには、明治時代に撮影されたらしい、門が健在であった頃の写真と、牛込見附に関する情報が書かれたプレートが置かれている。それによると、
・・・牛込見附は、外堀が完成した寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。・・・明治35年に石垣の大部分が撤去されましたが、左図のように現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。・・・
牛込見附跡説明看板



橋から見る牛込見附の石垣は、看板の写真と似たアングルになるので、高麗門と櫓門が建っていた当時の偉容がイメージできるというものだ。

 なお、こういう江戸城遺跡巡りをするきっかけとなった本「江戸城を歩く(ヴィジュアル版)」で紹介されている牛込見附の石垣は、線路側の面全体がツタで覆われていて、悲惨な状況なのだが、僕が行ったときは、上の写真のように、大部分が除去されて、きれいになっていた。このことは、実は先の本の著者である黒田涼氏のブログでも取り上げられていた(2011年7月6日エントリ)。その時に比べると、またツタが生えてきているみたい。
ラベル:江戸城
posted by おだまさ at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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