2012年05月08日

皇居外苑

 外桜田門を抜けた後は、皇居外苑へ。

皇居外苑から見た外桜田門
 振り返れば、桜田掘を挟んで右手に見える西の丸の石垣の高さが目に付く。皇居外苑は西の丸下とよばれていたそうだが、なるほどその通り。かなりの高低差がある。

 再び桜田堀沿いに進んで左に折れると、石垣が途切れて、西の丸大手門(今でいう皇居正門)、いわゆる二重橋、そして伏見櫓の見えるスペースに出る。ここは写真撮影スポットなので、僕以外にも数人がカメラを構えて撮影していた。
二重橋前

なお、手前の正門石橋の陰で、二重橋(今の正門鉄橋)はこの写真では上手く写っていない。正門石橋の先の門が西の丸大手門、右手奥が現存する唯一の櫓と多聞の組み合わせ、伏見櫓と伏見多聞。

 西の丸大手門は、かつての江戸城西の丸の正門だが、今の皇居の正門とのことで、普段は閉まっているそうだ。また、元々は高麗門と櫓門が一直線になった枡形だった(長崎大学附属図書館蔵の明治初年頃の古写真(江戸城二重橋)参照)が、今は渡櫓門のみで高麗門は無く(明治21年に撤去)、その基礎となっていた石垣が、橋のたもとのせり出して残るのみ。明治21年というのは、皇居に建てられた宮殿が落成し、明治天皇の公務の場となった年である。
西の丸大手門

 この西の丸大手門、江戸時代(徳川家光時代?)から現存しているとか、関東大震災で倒壊/修理したとか、webの情報は幾つかあり、どうも定かでないが、関東大震災をくぐり抜けたように思われる。

 そのスポットを過ぎて、二重橋堀に沿って北に向かうと、また左手に掘を渡る道が延びて、その先にあるのが坂下門だ。宮内庁への入り口なので、橋のたもとに警備員がいて近づけない。しかし、遠くからでもその偉容はよくわかる。
Sakashita.jpg

 この坂下門、橋の正面に渡櫓門がそびえているが、かつては、高麗門がそこにあり、枡形をなして、本来の渡櫓はその左手にあったものが、明治21年に高麗門が撤去され、渡櫓門が現在の位置に移築されたそうだ。これまた長崎大学附属図書館蔵の明治初年頃の古写真(皇居坂下門と蓮池巽三重櫓)を見ると、ちょっとわかりにくいのだが、真ん中に写る二重橋濠の左手に、横から見た高麗門とそれに垂直に立つ渡櫓門が見える。ちなみにこの古写真の正面の箪笥多聞と蓮池巽三重櫓は明治前半に消失してしまったらしい。
 この坂下門、その近くで、文久2年(1862年)、老中安藤信正が水戸浪士を中心とする尊王攘夷派に襲われた「坂下門外の変」があったそうだが、寡聞にして知らず。
 
 これで皇居外苑を半分程度回ったことになるが、ふと、江戸城側ではなく、東京駅側、つまり現代の東京のビル群に目をやると・・・これが、思いのほかキレイで、意外だった。皇居の前、だからなのか、東京のビル達も悪くないな、と。
江戸城前、今の東京


 このあとは桔梗門へ。
タグ:江戸城
posted by おだまさ at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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