この武雄市図書館。知っている人は知っている通り、去年から一部で色々取り上げられていた話題。僕は、産総研の高木浩光さんのブログやtwitterを、ネットのセキュリティの話題に興味があって読んできたのだが、この中でもこの話は、例の脅迫騒ぎもあって、気になっていた。
この4月に関係者の心配(?)をよそに、武雄市図書館=TUSTAYA武雄市図書館店がオープンしてしまったわけだが、上記報道ステーションは、そのことを既得権益の打破、地方首長の快挙、とかいうものすごく肯定的な事例として報道し、それにまつわる負の側面は全くとりあげられなかったようだ。
意味不明に高い書架、Tポイントカードでの読書履歴の漏洩の可能性、館内にレンタルCD/DVDコーナーができてそれまでのメディア関係の貸出資料は廃棄、スタバで買わなければ座れないスペースが多い、等、既に色々指摘されている問題があるので、TSUTAYAとスタバを図書館に取り込んだことを、既得権益打破としてもちあげる理由が僕にはピンと来ない。ネット情報で改装前後を比較する限り、改装前の方が「図書館」としての機能が高かったように思える。
個人的には、飲食をしながら(他人様の)本を読ませる、ということが、納得できない。
とはいえ、僕は武雄市にも、武雄市図書館に行くことのできる距離の場所にも住んでいるわけではないので、図書館機能としての本当のところはよくわからない。今回気になったのはそこではなく、そういう武雄市図書館を仕掛けた武雄市長樋渡氏を賞賛・礼賛する意見がtwitter他で非常に多いようだ、というところだ。
上で書いたように、高木浩光さんのtwitterを通じて、武雄市図書館問題にまつわる、市長含めた色々な人とのtwitterあるいはFacebook、市長のブログでのやり取りを見てきて、僕はこの市長(の言動)の多くに違和感を持っている。やっていることよりもその前に、この市長の人となりが信頼できない。もちろん、話すことがまともならその人を信頼して良い、ということでもないのだが、公人たる市長として、その立ち振る舞いが、僕の尺度からすれば変な方向にずれ過ぎてている。
なので、TVを見て武雄市長は素晴らしい、と思った方は、彼がどのように素晴らしいか、もっと調べて欲しいと思う。例えば、ブログ「混沌に目鼻」の「おかしいと思わないか?」というエントリーを読んでいただきたい。この詩文の内容と同じようなことが実際に起きていたのだから。それでもなお、個人としての市長を賞賛するのか、と。
本来は個別に論じられるべきことが、総論という形で述べられ、それはたいていの場合、反論する余地がないほど論理的に正しい正論になっている。しかし、だからといって、そこから派生したような各論が必ず正論か、といえば、そうではないはずだ。個々の事情や状況により、総論のような一般化はできない。その各論を、あるキーフレーズで一般化して正論化してしまうことの危険を、僕らは小泉改革で学んだのではなかったか。