2005年08月18日

写楽殺人事件

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写楽殺人事件(高橋克彦、講談社文庫)


昭和58年江戸川乱歩賞受賞作品。今から20年余前の高橋克彦氏最初期作品だが、当然ながら、そんな時の流れを全く感じさせない傑作だった。

高橋克彦氏の著作は蝦夷の時代物総門谷シリーズ、竜の棺シリーズを読んでいたが、推理物には手を出していなかった。それが読む気になったのは、総門谷Rの解説で明石散人氏が(総門谷Rの解説だというのに)この本を絶賛し、かつ読み応えを説いていたからだ。果たして、読後感の充実した作品だった。

この小説の前半では、高橋氏の写楽論が主人公・津田の探求過程を借りて展開される。写楽の正体について、最近の研究成果がどうなっているのかは知らない。明石散人氏が改めて提唱した斉藤十郎兵衛説が決定打であるようである。高橋克彦氏の論は、それとは異なり、秋田蘭画絵師の中にいるという。それは、写楽が活躍した江戸自体の文化的背景に根ざす論であり、「東州斎写楽はもういない」を書いた後の明石散人氏をして、「高橋説が揺るぎないもののように思えて」しまうものであった。そして氏は、それを「写楽を様式として捉えた」からであると分析する。

この、解説を読むだけではなかなか理解できなかった明石氏の「(高橋克彦氏は)写楽の出現を様式として捕らえた」というくだりが、それが本書を読んでようやく実感として理解できた。それは、「竜の棺」では明示的に、「炎立つ」などの純時代小説では暗示的に、高橋氏の作品の中で展開される共通の方法論に由来する。つまり、正史には描かれない歴史の影、権力者に封印された謎を、今に残る一見無関係のような状況証拠を緻密に組み立てて、明らかにするという作者独自の手法に則って時代情勢(と権力闘争)の結果として写楽を捕らえた、ということであった。

この点は、実は高橋氏の作品を、本作しか読んでいなければ、わかりにくい点かもしれない。主人公の研究者津田が写楽の謎を解き明かしていく過程は、「竜の棺」で九鬼が「竜」の謎を解いていくプロセスそのものである。まさにこの点でもまた、この小説は推理小説なのである。

逆に、様式としての写楽という理解ができなければ、写楽=近松昌栄説を、最後に全部嘘だったという種明かしをされた時点で、肩透かしを食らったような気分になるだろう。しかし、国府の独白にあるように、秋田蘭画絵師説は近松昌栄でなくとも成立するのであり、東北の一つの藩が江戸にかくも大きな文化的影響を与えていたという、知られざる真実をこそ見出さねばならない。

Googleで検索すると、推理部分のトリックが弱い、構成が尻つぼみ、という批評があった。確かに、殺人事件に関する展開については、弱さが無いことも無いと思う(殺された国府の手記で犯人が明かされるなど)。

しかしながら、上に書いた様式としての写楽論に加え、作中に込められた作者の浮世絵に対する愛情と、その裏返しとして描かれる津田が感じた哀しみが、それらを補って余りある作品にしていると思う。そう、殺人の陰謀は暴かれ、事件は幕を閉じるのだが、物語は謎が明かされるに連れて悲しみの色を濃くしていく、寂しい物語だ。最後に明かされる津田と冴子の結婚が、ただ一つの救いである。
ラベル:高橋克彦
posted by おだまさ at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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