2013年08月25日

キース・エマーソンのストラップ

 元ELPのキーボードのキース・エマーソン率いるキース・エマーソン・バンドの2005年の来日公演の様子を以前のエントリーでアップしていた。

 そのエントリーの末尾に、会場で購入したレザーストラップの写真を小さく載せているが、このストラップを携帯に付けて、今でも愛用している。あのツアーから8年。気がつけば、レザー部表面に書かれていたKeith Emersonの文字は無くなり、それがあったことすら忘れていた。それでも、金属のリングに刻印されたKEITH EMERSON JAPAN TOUR 2005の文字が、その素性を明かしてくれる。レザー部分はだいぶくたびれてきたけれど、まだまだ使い込んでいけそうである。
キースのストラップ


 この記事を書いたのは、実はELP関係の色々な情報を発信して下さるtoriodenさんのブログ「EL&P図書室」にて、同じようにライブ会場で購入して、大事に保存している同じストラップの写真をアップしているエントリーを読んだから。このエントリーの新品同然のストラップの写真を見るまで、レザー部分にキースの名前が入っていた事をすっかり忘れていた、というお話。

 僕も使わずにおいておけばよかったかな・・・?実は、2008年のツアーでも同じようにストラップを購入したが、こちらは2005年の物に比べると見劣りするので、使わずにいるから、逆に今でもキレイという・・・。レザーでなく布地になった持ち手部分に、KEITH EMERSON BANDの文字が、ちゃんと残っている。

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2013年07月24日

参議院選挙

 去年の衆議院選挙の結果を見て、そうなるといやだなあと思いつつ、そうなるのかやはり、と思っていた参議院選挙の結果は、やはりその通りとなった。今回も、ネットで自分が見て回った警鐘や危惧は、現実の結果とは全く解離していたと言わざるを得ない。まさに、見えているところが全てと思い込んでしまう陥穽に陥りやすいのがネットということだ。

 民主党・旧民主党候補の一人負けの様相で、結果、見た目には『自公の一人勝ち』となってしまった。衆参過半数を占める与党を誕生させる体制変更の選挙の投票率は、52.61%・戦後3番目の低さ、という。ねじれ国会が解消してしまうかもしれない、というこんな重要な選挙が、だ。

 この結果として何が起こるか。端的にいえば、南堂さんのwebサイトの7月22日の項に書いてあることがピタリと来る感じだ。要するに
アベノミクスと称して、4〜6月の景気が少し良くなっている。これを見て来春の消費税増税が決まる。しかし、景気が良くなっているのは、一部の金持ちの消費の結果であって、一般庶民の品目はデフレであり、儲けた大企業は内部留保。つまり、生活者の実態としては景気が良くなっていないのに、消費税が増税され、それがトリガーとなり、デフレ悪化、円安バブル崩壊。
アベノミクスの正体は、消費税増税のための露払いだったわけだ。

 そして、見た目には自由貿易協定のようなTPP。国内法に勝る条約で、海外企業の権利を守り(ISDS条項)、一度自由化されたが最後取り消すことができない(ラチェット規定)条約を結ぶ与党。

 さらに、国民の権利より国家体制を優先する憲法に改正しようとする与党でもある。

 総論としての正論はいつも正しい。しかし、正論の皮をかぶった各論の実態は、正論ではないこともある。そこに、だまされないようにしなければいけない、と思う。

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2013年05月04日

宇宙戦艦ヤマト2199 第3話&4話

 第3話「木星圏脱出」、第4話「氷原の墓標」を見る。

 うーん、これまでに感じていた不安はほぼ確信に変わった、と言って良い。

 第3話ではヤマトの見せ場、ワープと波動砲が登場。本シリーズでのこういうシーンの見せ方は、CGを使った効果と合わせて、本当に上手いと思う。ワープの前の加藤の読経はどうかと思うが、初ワープの前の緊迫感、予定通りに行かずに木星の重力圏にとらわれていく辺りなどは、結構臨場感があった。波動砲の試射シーケンスもオリジナルを踏襲しつつ、映像のクオリティが上がって、浮遊大陸の崩壊の描写は波動砲の威力の凄さを見せつけてくれた。その一方、オリジナルを思わせるちょっとしたシーン(森雪の例の描写(^^;)とか、浮遊大陸の最後の様子とか)もあったりするのも良し。

 第4話も、全体として上手くまとめていて、氷原に眠る「ゆきかぜ」を見た古代や真田、沖田艦長の思いは、(古代のはちょっと気弱すぎる気もしたが)、伝わってくる。メカのディティールも良し。

 ということで、確かにこのシリーズ楽しんでいるのは間違いないし、こういう形でリメイクされ、放映されていることをオリジナルのファンとして、素朴に喜んでいる。

 とはいえ、オリジナルと比べてどうの、ということがやはり言いたくなってしまうわけで・・・。前のエントリーで少し触れた地球を見送るシーン。これが2199の第3話では全くの不発。それどころか、「本当に救えるんだろうか」というような台詞はあったものの、古代にそれを言わせるか!と、やや怒りモード。古代のキャラクターがオリジナルとは違いすぎる、ということだ。情熱家で一本気の熱血漢、というキャラクターでは古い、ということなのか、どう見ても草食系。見たかったのはそういう気弱さではない。これから遠く16万8千光年彼方に向かう、生きて帰って来れるかもわからない、しかし、ヤマトが帰ってこられなければ人類は滅ぶ、そんな状況での恐怖、不安、緊張、決意・・そういうクルーの心理だ。あえて言えば、火星に眠るサーシャへ思いを馳せることとは、深み、重みが違う。

 オリジナルのこのシーン、記憶の中でしかないが、書いておこう。BGMは「悲しみのスカーフ」で。

・・・大気圏を離脱し、太陽系脱出の航路を取るヤマト。第一艦橋のモニターには、火星のように赤茶けた地球の姿が映っている。見慣れてはいるが、これで見納めになるかもしれない、そして救わなければならない、故郷の姿だ。
 「あれが、我々の地球か・・・」
徳川機関長がつぶやく。
 「痛ましくて、見ておれん。」
 モニターから目を離すことができないまま、操縦桿を握った島も、気弱そうにつぶやいた。
 「本当に救えるんだろうか、あの地球を。」
 古代は、そんな島を睨みつけるや、拳を握りしめて叫んだ。
 「当たり前だ、絶対に救うんだ!。パレードで見送ってくれた人の叫びを、お前は忘れたのかッ!」

・・・これなんだけどナ。

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2013年04月22日

宇宙戦艦ヤマト2199

 我が家では親子そろってみるアニメ番組が三つ。一つは宇宙兄弟。映画、コミックまではまった。二つ目が聖闘士星矢Ω(笑)。親がオリジナル星矢世代ということで、第一期はかなり盛り上がった。そして、三つ目がこの4月から始まった宇宙戦艦ヤマト2199。これは正確に言うと父親と子供そろって、だけど。

 僕は、シリーズのリアルタイムでいえば映画「さらヤマ」世代。劇場にも見に行ったし、サントラレコードを買って聴きまくった。オリジナルヤマトは再放送だが、小学生〜中学生当時か、アニメと言えば、まず宇宙戦艦ヤマト、その後継として富野ガンダムや押井うる星やつら、などがあったように覚えている。

 去年から、この2199が先行して劇場公開やブルーレイが販売されていたのは知っていた。webで予告動画を見て、結構燃えるモノを感じていて、ブルーレイを買うか、とも思っていたが、気がついたら、TV放送が始まった、というので、毎週ブルーレイに録画中。

 さて、先週が第二話「我が赴くは星の大海」だったわけで、第一話に続くハイクオリティな作画、ディティールアップな細部、旧作とほぼ同じ劇伴、と見所満載で楽しんでいる。特に、基本的にオリジナルにほぼ忠実なリメークというところや、企画スタッフが間違いなくオリジナルヤマトを愛して作っている、ということが感じられる点が嬉しい。

 キャスティングも違和感がなくて、オリジナルのイメージを良く残している。何より驚いたのが、千葉繁さんの佐渡先生。「え、永井一郎?」と一瞬思ってしまった。

 のだが・・・。やはり気になるところが。

 違和感の始まりは、第一話で古代守の「ゆきかぜ」が沖田の「きりしま」の撤退を援護するために反転して敵陣に向かっていく時に、乗組員が軍歌(?)らしき歌を歌っていくところ。その前の沖田との会話で、古代が沖田を護るために残った、というのはわかるのだが、何と言うか違和感。

 次いで、気になったのが、第二話で惑星間ミサイルを主砲で破壊したヤマトが爆煙から姿を現すシーン。オリジナルにあったタメの演出がない!。初めて敵の攻撃をかいくぐって復活したヤマトだというのに、あっけなく出てきてしまうので、敵の攻撃の凄さ、それをくぐり抜けたヤマトの重厚さ、そして何より、ヤマトに期待を託す人々の不安と喜びが見えてこない。

 そして、だ。前に戻るが、ヤマト乗組員の乗艦パレードがない。設定上そういう感じではないのかもしれないが、オリジナルはあのパレードシーンで、観衆が期待と応援の声を上げて見守る中、こういう台詞もあったはずだ。
 「お前らだけで、逃げるんじゃないだろうな!」
歓喜の中の絶望、期待の中の羨望。この、地球に残された人々のどうしようもない、切ない思いを、ぜひ、描いて欲しかった。そういう状況が見えてこそ、だいぶ先で相原が、ガミラスの策略で知ることになる、地球が絶望のただ中にいる、という状況もリアルに生きてくる(この話が2199で採用されているのかは知らないが・・)。今回もヤマト計画を知って暴動が起きた、というニュースを出していたが、それが意味するところが分かる人はオリジナルを見た人だけだ。

 しかも。パレードがなかったということは、ヤマトが大気圏を離脱して、赤茶けた地球を見送るときの、感傷的といえば感傷的なシーンでの、あの島と古代の台詞がないということか?。あぁ、残念・・・。

 ということで、メカや設定のSF的なディティールには凄く凝っているし、土方や山南を出してくるなどツボも得ているのだが、一番重要な「愛」(^_^;)・・・というか、人間の持つ希望、祈り、その反面の絶望、哀しみ、というところの人間ドラマの描き方が、足りないのではないかと、これが一番気になるところ。

 沖田や真田は結構いいのだが、熱血漢に見えない古代、妙に軽い島・・・この先、どうなっていくか。ぜひその心配を良い意味で裏切り、クオリティの高い作画で熱いドラマを見せて欲しい。

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2012年12月20日

衆議院選挙

 終わってみればこういうものかと。

 どうしてここまで自民党が圧勝するのか?これが小選挙区制の恐ろしさか。時前のネット情報を見ている限り、もっと良い、バランスの取れた結果になると思っていたが、これは結局、見たいものしか見ていなかった自分に原因があるのだろう。

 それにしても、最初の疑問に戻る。あの党首を頂いた政党が、なぜここまで議席を取れるのか?それは個々の議員の力なのか?しかし見ていれば新人が多い。ということは、あの党首や幹事長のイメージに関係なく、何かに惹かれて人は投票したのか。わからない・・・。たしかに、経済政策では唯一何らかの考えを提示したようだが、それ以外の、あの党首が本当にやりたいと言っていることの内容はどうなのか?それを支持すると、いうのだろうか。

 こうなれば、とりあえずは、党内のバランス感覚に一縷の望みをかけるしか無い・・・あな、恐ろし。

 日本未来の党、国民の生活が第一はどうなるか。両党ともwebサイトは選挙前のまま。しかし、まだ、来年の参議院選挙がある。あらためて、僕も色々考えていくようにしよう。

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2009年07月26日

訃報:金田伊功氏(57)

 7月22日の朝、何気なく、ケータイのニュースヘッドラインを見ていて目を疑った。「金田伊功氏、死去」。享年57歳。また一つ、偉大な才能が失われていったことが、残念でならない。

 アニメータ金田伊功氏の名を知っている人は、往年のアニメファンだろう。僕は今はもう観ないけれど、小学校高学年から20代半ばまではかなりの(TV)アニメファン、だった。絵を描くのが好きで、中学時代はセルアニメの制作もやろうとしていた(結局できなかったが)ので、アニメの中でも絵、あるいは動きに特に興味があり、金田氏はその独特な動きやアングル、カットの気持ちよさから、僕にとって一番のアニメータだった。

 70年代〜80年代、金田氏の描く動き、あるいは独特の金田パースに魅了されたアニメータ諸子が多く出てきたが、いずれも亜流あるいはより先鋭的になり、本家の金田氏の気持ちよさを超えるアニメートを見せるアニメータはいなかったように思う。ましてや、一枚の線は多くてもコマが少なかったり、あるいはCGでメカを動かしたりする最近のアニメからは、金田氏のような動きを魅せるアニメータは育ってこないのではないか。とにかく、金田氏の作画は、動きまくるというわけではないのだが、動きのタイミング、カット(パース)の格好良さの波長が合うといおうか・・・。

 僕自身、次第にアニメから遠ざかったこともあり、これが金田氏の作画だとはっきり識別できた作品は「天空の城ラピュタ」が最後になる。その後の「トトロ」では猫バスのシーンとは思うが自信がなく、「紅の豚」や「魔女の宅急便」、「もののけ姫」ではもはやどこかわからなかった。これは作品が金田氏独特のアニメートを拒否したからかもしれない。しかし、「ラピュタ」では金田氏は"原画頭"として、冒頭の海賊と市民の殴り合いの喧嘩、またラストの方でパズーが竜の巣に突入するシーンなどを作画されているはずだ。竜の巣の中でパズーが父親の幻を見るシーンなど鳥肌モノだ。

 しかし、映画で言えばその代表作はやはり「幻魔大戦」だろう。映画のできはともかくとしても、金田氏作画部分の質・量は群を抜いていて、ラストの溶岩流と化した幻魔との闘いは、動きの金田氏の面目躍如だった。格好良く描けそうにない大友克洋氏デザインの東丈ですら、格好良く書いてしまうのだ。
 
 もう一つ金田氏といえば、TVアニメのオープニング作画だ。本編という縛りがないだけに、金田氏の魅力がよく出ている作品が多いと思う。「(新)サイボーグ009」の003、「ボルテスV」の殴り合うシーン、「アクロバンチ」のナイフに写るカット、「ブライガー」や「モスピーダ」のメカの動き。古いビデオを引っぱり出して見たいところだ・・・。

 さらに本編作画では、若さのエネルギーが満ちあふれていた「ザンボット3」や「ダイターン3」も、金田氏担当分の凄さは他とは比べモノにならないものだった。

 57歳という若さで心筋梗塞のため亡くなられた金田氏のために、アニメ関係者有志が、「金田伊功を送る会」を企画されているそうだ。8月30日に東京での開催で、発起人リストを見ても、監督や演出家に転身せずに一アニメータとして生涯を閉じた金田氏の存在の大きさがわかる。

 心からご冥福をお祈りします。
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2008年11月06日

小室哲哉、詐欺容疑で逮捕

 Self Controlの頃からのTMの、小室のファンだったので、全くやるせない気にさせるニュースだ。あえてwebのニュース記事へのリンクは張らないが、小室哲哉が既に手放してしまった自分の楽曲の著作権を自分のものかのごとく思わせ、それを譲る形で5億円の詐欺を行ったらしい。主犯格なのか、結果として詐欺になってしまったのか、細かい点は知る気もないが、過去の頂点時代からの凋落ぶりを印象づけるニュースだ。どういう経緯であれ、本当に犯罪を起こしてしまったのなら、何らかの形で償うしかない。

 それはさておき。この「(かつての)大物プロデューサの逮捕」というセンセーショナルなニュースに付随して、必ず付いて回る意見がある。つまり、彼の音楽は大量生産・大量消費の産物、メディアで仕組まれたブームに載せられただけの楽曲、ブームが去れば心に残る物など何もない、メディアに露出し過ぎた浅薄な音楽・・云々、という評。確かに大量に売れたし、メディアが仕組んだ面も多々あろう。されど、それを抜きにしても、僕は彼の音楽は、今でも心に残る音楽だと思っている。

 僕は昔からキーボード系の音楽が好きだったので、当時のシティ・ハンターのエンディング"Get Wild"にすぐにはまってしまった。吸血鬼ハンターDの劇伴をやっていることも後で知って、サントラをよく聴いた。TM NetworkからTMN、そしてglobeと、リアルタイムで彼の楽曲を聴いてきた。今でもglobeの"Departures"は僕にとって、当時の思い出と共にかけがえのない曲だ(残念ながらトランス系・・のようなものに移行する頃に聴かなくなっていったのだが)。

 要は僕は今でも小室の楽曲は好きだ、というだけのことなんだが・・・歌、音楽というのはそういうパーソナルな形で個々のファンの想いの中に生き続けるものだと思う。したがって、このニュースに付随する、とってつけたようなマスプロ・メディアの浅薄な産物的批判というのは、いかにもステレオタイプ的発想でしか無く、単に評する人が当時の小室の楽曲を好きではなかった、という事実以上のものはそこにはないだろう。もしそうではなく、当時の小室ファミリーのブームのほとんどが、本当にメディアにのせられただけのものだとしたら、そういう音楽しか求められない音楽ファンという問題を取り上げるべきだ。

 思うに、メディアから飽きられないアーティストは結局のところ偉大なるマンネリズムだと思う。同じ事をしてもらえると安心できるという域まで達し、かつ同じようなことをし続けられるアーティストは、そこそこの人気を保ち続けるだろう。そういうタイプの音楽ができなかったところが小室の不幸だったのだと思う。
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2008年10月31日

キース・エマーソン・バンド日本ツアー2008大阪公演

 ということで・・・ライブ会場で買った新譜のCDを聞きながら、ライブで思ったことなど書いてみる。

 会場は大阪の松下IMPホール。会社を定時少し前に抜け出して背広のまま会場に向かう。来場しているお客さんも、背広にネクタイという人が結構多い。部課長クラスというような世代。もちろん若い人もいれば、白髪の女性などもいたりと、ファン層がとにかく広い。

 ステージは、左側がキースのコーナー。巨大なムーグユニットをバックに、キーボードが4セットくらい。ハモンド(Goff)オルガンはもちろん健在。右袖にはグランドピアノが置いてあるが、今回は脇役か。

 ライブは、新譜からの曲とライブ定番の曲が半々くらい。幕前の場内に流れる音楽で、ゴジラの劇伴や3の曲「Deste La Vita」などが流れるので、「こんなマイナーな曲もライブでやってくれないものか」と少し期待していたが、やはりそれはなかった(残念)。ウドー音楽事務所のwebサイトに東京公演のセットリストが載っているが、大阪公演もそれと同じだろう。記憶と照らし合わせながら挙げてみる。以下、()内はオリジナルテイクの含まれるアルバム名。
1st Presence (新譜)
Last Horizon (新譜)
Karn Evil 9 1st Impression - Part 2 (Brain Salad Surgery, ELP)
Piano Concerto No.1 Thid Movement: Toccata Con Fuoco (Works, ELP)
Bitches Crystal (Tarkus, ELP)
Malambo (新譜)
Touch and Go (Emerson, Lake & Powell)
Lucky Man (Emerson, Lake & Palmer, ELP)
Miles Away〜Crusaders Cross〜Fugue〜Marche Train (新譜)
The Barbarian (Emerson, Lake & Palmer, ELP)
Prelude To A Hope (新譜)
A Place To Hide (新譜)
From The Beginning (Trilogy, ELP)
Hoedown (Trilogy, ELP)
Tarkus (Tarkus, ELP)

アンコール
Fanfare For The Common Man (Works, ELP)
Nutrocker including Toccata and Fugue

 楽曲では、ムーグの・・・厚みのある音色というのか、Lucky ManやTarkusのムーグのパートなど、もう堪らない。キーボードの低音が腹に響く、なんてこと他にあるのだろうか。こういう演奏はもうキースしかできないだろうししないだろうというレベルだ。リボンコントローラもやってくれたし、僕は初めて見たのだがテルミンという楽器(?)も披露してくれた。これでもかこれでもかという、アナログ・シンセの大博覧会という感じ。

 フューチャーされているギター・ボーカルのマーク・ボニーラも、想像以上に良い感じで、キースとうまくかみ合っていたように思う。僕はキースとギターの組み合わせはアリだと思っている。新譜にしても、これまでにない、今のキース・エマーソンが見事に描き出されている。そういう意味で、ツアーバンドとしてのレベルは前回よりも高いように思う。マークをフューチャーすることで、キースのキースらしい面、一人では遂偏ったりしてしまう(結果としてソロアルバムがあまり面白くない?)ことがなく、良かったのではないだろうか。その一方、小粒の曲しかないのは残念。Emerson, Lake & Powellの例えばThe Scoreのようなシンプルかつ印象的なフレーズを謳い上げるような大曲も欲しかった。Marche Trainのギターのメロディは印象的だったけど、マークのパートだし・・・。

 ライブ直後のエントリにも書いたけれど、僕にとっての今回のライブの特筆は、そのEmerson, Lake & Powellに収録されていたTouch and Go。実は、僕はキースのリアルタイムは幻魔大戦の劇伴を除けばEmerson, Lake & Powellから。ELPの新譜が買えた、しかもかなりの名盤!と言うことで、当時何度も何度も聴いていた。当時来日公演は遂に見ることができなかったが、FMで流れていたライブの様子をテープに録って、ライブでのTouch and Goの格好良さにしびれていた。そのオリジナルのようなシンセ版をこのライブで生で聴くことができたせいか、何やら色々とこみ上げて、本当に感無量・・・しびれてしまった。The Scoreもライブで聴いてみたい!。

 その他、新譜の曲では、Marche Train、Last Horizon、それからナイス時代からの定番のドンドコドンドコ・・・というリズムを刻むMalamboが良かった。ELPのナンバーでは、中盤のピアノのパート以降のみだったがBarbarianは珍しかったように思う。

 Touch and Goを生んだEmerson, Lake & Powellのドラマー、コージー・パウエルはもういない。そう言えば、新譜のライナーノーツで知ったのだが、ナイスのドラマーだったブライアン・デイヴィソンが今年の4月に亡くなったらしい。今、ここにキースが居て、しかもさらに新しい姿を見せようとしてくれている、ファンとしてこれほど嬉しいことはない。その演奏も、本当に楽しそうだ。まさにこの瞬間のキース・・・そういう感じだ。天才は歳をとらない。

 約2時間というライブはアンコール以降総立ちで幕を閉じ・・・祭りの後の寂しさ。

 それにしても、今回もコンサートグッズでストラップを買ったのだが・・・これは2005年のツアーの時の方がだいぶクオリティ高かった(^^;)。
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2008年10月21日

キース・エマーソン・バンドのライブに行ってきた!

 3年ぶりのキースのライブに行ってきた!。詳細は後日あらためてアップするとして、強く印象に残ったコトだけ書いておくと、
 ・やはりキースは天才だ
 ・天才は歳をとらない!
ということだろうか。会場で買った新譜の特典DVDを見れば、それはそれなりに老けているキースだけど、円熟はしても老成せず、そのスピリットは昔から変わらないキースそのもの!。

 今回、涙腺が一番熱くなった曲、それは"Touch and Go"だった。オリジナル版相当のシンセバージョンを聞いていると、万感こみあげてジーンとしてしまった。曲の後に、キースが「無きコージー・パウエルに」というようなことを言っていた(たぶん)ので、余計に。
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2008年10月18日

キース・エマーソン来日!


 ふと流していたカーラジオから聞き慣れた「展覧会の絵」のフレーズが流れてきた。
 (・・・これは?)
と思っていたら、恐るべきアナウンスが!

 キース・エマーソン来日!。オリジナルバンドでライブ!!

 驚いた、これは。もうキースの来日もライブもないだろうと、思っていたから(こんなファンでキースごめんなさい)。

 ライブはもう来週で、情報入手が遅すぎたわけが、幸いにも当日券はまだあるとのこと。マネージメントをしているウドー音楽事務所に連絡して、チケットぴあでもチケットが入手できるコトを知り、ファミリーマートの端末から購入(\8,500なり)。

 前回のライブからちょうど3年。しかもつい最近キース・エマーソン・バンドとして新譜も発表していたようだ。もう日が無いので新譜を聴いてからライブに行くというのは難しいが、何にせよ3年ぶりのライブに、心して行かねばなるまいと、決意もあらたに、過去のELPのアルバムを聴く毎日。本当に楽しみ。
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2008年02月06日

新ルパン

 ケーブルテレビで新ルパン・・・赤ジャケットのルパン三世のTVシリーズの再放送をやっていたが、つい先日、終了した。

 その最終盤の傑作と言えば、「死の翼アルバトロス」と最終回「さらば愛しきルパンよ」。いずれも演出、絵コンテ、脚本は照樹務・・・旧ルパンを影で支えたあの宮崎駿氏である。

 当然ながらストーリーの完成度、演出の密度が桁違いに高い。それに応じるかのように背景も、丹内司作監率いる作画陣もハイレベル。いまから27年も前の作品というのが信じられない。完成度が群を抜いているといおうか、つぼにはまる気持ち良さ、吸い込まれるカット割、ちょっと照れくさくなるような人情味・・・中堅として活力ある宮崎氏の手腕が冴えている。

 作画もそれに見事応えて、とにかくルパンが動き回る。空飛ぶ乗り物を描かせたら右に出るモノなしという氏の演出を見事に支えているアルバトロスとレシプロ機の空中戦。かと思えばラムダの最新兵器らしからぬゆったりとした動き。東京のど真ん中で大砲をぶっ放す戦車群の緊迫感。最近のアニメ(といってももう10年くらい見ていないが)のメリハリと勢いだけの動かし方やCGでの奇妙な滑らかさとは全く違うアニメらしさがそこにある。そういえば、かつて安彦良和氏が「めぐりあい宇宙」の製作をしているときに、宇宙空間でガンキャノンがややロールしながらゆっくり迫ってくる作画こそ、劇場版での再作画の白眉の一つ・・・TVシリーズではそういうコマを喰う動かし方ができない・・・というようなことを語っていたという記憶がある。

 そういうことはさておき。久しぶりにじっくり見ることができたこの2作。とにかく面白いし気持ちよい。本放送当時は中学生くらいだったが、アニメックか何かで掲載していたこれらテレコム2作品の特集記事を何度も読んでいたっけか。結局、僕は昔のまま成長していないという・・・。
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2007年10月29日

ウルトラセブンX

 オリジナルのウルトラセブンの40周年記念とかで、セブンの新作として、新しく製作されているウルトラセブンXを観た。深夜枠でうっかりしていて、初めて観たのが第4話「DIAMOND "S"」。

 第一話を見逃しているので、設定はよくわからないのだが、アングラな組織(DEUS)に属する主人公らが、日常世界に入り込んだ異星人から人類を護るために闘う、という背景。

 大人の視聴に耐える・・・というような宣伝文句を観た記憶があるが、この第4話を見た限りでは難しいか。ウルトラシリーズの最も荒唐無稽なところは、巨大な怪獣とセブンが闘う、というような主人公(セブン)の存在それ自体で、それをどう必然性を持って見せるか、というところがシリーズの要となるところだろう。人間世界に忍び寄るエイリアン、という設定は好みなのだが、それをリアルに見せるほど、巨大異星人とのバトル、というラストで肩すかしを喰らった気分(何で異星人まで巨大でないといけないの?)になってしまう。この間観たスパイダーマン3のように等身大ヒーローなら、もう少しシームレスに(巨大なサンドマンはでてきたとはいえ)展開できるのだろうが、この難しさがウルトラシリーズの宿命と言えるかもしれない。

 セブンXへの変身はといえば、ウルトラアイをさりげなく装着して移行してしまって、気持ち良さがない。変身後のセブンのデザインも残念ながら僕の趣味ではない。エイリアンのデザインも同様。CGを使ったアイスラッガーの乱舞は、マックスでおなじみで、それは格好良いのだが・・・。

 もし、大人の視聴にも耐える・・・という意味を、ウルトラ警備隊ではないという主人公達の設定や、今風のアイテムを使ったシナリオなど、従来ウルトラの否定として捉えているなら、勘違いしていると思う。今の僕が見たいのはセブンを中心とする大人の"物語"、だ。

 ということで、ネガなコメントばかりだが、製作スタッフを見れば、監督は、場つなぎ的に製作されたはずのウルトラマンマックスを近来無い傑作に仕立て上げた八木毅さん、脚本に同じく小林雄次さん他、マックスでなじみのスタッフが揃っている。マックスの「奪われたマックススパーク」や「地球壊滅の序曲〜つかみとれ未来」のクオリティの高さは特筆ものだった。となれば、これからの展開、謎解きの面白さに期待して、次回以降も見てみようと思う。
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2006年04月04日

スペシャル・フィナーレ〜ウルトラの未来へ〜

 前回までの「地上壊滅の序曲〜つかみとれ未来」で幕を閉じたウルトラマンマックスの物語。そしてシリーズとしての最終回「スペシャル・フィナーレ〜ウルトラの未来へ〜」はいわば総集編と言う位置づけ。それでも、2076年の未来の時空においてDASHのメンバーが物語を振り返るという回想録、という形で描かれる。

 画面には登場しないDASH隊員の一言二言が、シリーズを見てきたものにとっては懐かしいし、楽しい。ある意味、楽屋落ちな部分はあるけれど、コバとエリーの痴話喧嘩とか、コバの墜落確率とか・・・コバはイジラレキャラだったか。その前のミズキがマックスに助けられるシーン集大成もなかなか面白い。後は「隊長の一発!」かな。DASHのメンバーの仲の良さ(それは物語の中だけでなく、俳優さん同士の意味でも)が伝わってくる、ある種後日談的面白さ、だった。それだけ印象深いシーンがあったということで、やはり個人的に結構入れ込んでいたようだ。

 ラストのマックスからのメッセージ。これについては、何も言うまい。これを見て子供達が感じてくれれば、それでよいと思う。マックスがこういう真っ直ぐなメッセージを発信するシリーズであったことも、親としては嬉しい。

 総集編最後には、オープニングテーマにのせて、シリーズ最初から最後まで一気に駆け抜ける。その中でも、「つかみとれ未来」で半身にミズキを抱いてマックススパークをかざして変身するシーンがやはり気持ちよい。ツボにはまった、というやつかもしれない。

 シリーズの脚本を手がけ、この最終回の脚本も担当した小林雄次さんのブログ「星座泥棒」で、最終回の裏話とシリーズ打ち上げのエピソードが少し披露されている。

 これを読むと、製作スタッフがシリーズにかけた思いというか熱意が感じられるし、またスタッフのシリーズへの愛着も伝わってくる。そしてこれだけのシリーズに育て上げて満足感も。そういうところが逆に僕のような一視聴者にも嬉しい。製作スタッフの方々、キャストの方々、ご苦労様でした。特にDASHの若手メンバー、青山草太くん(カイト)、長谷部瞳さん(ミズキ)、小川信行さん(コバ)、ショーン・ニコルスさん(ショーン)、満島ひかりさん(エリー)には、今後の活躍を期待したい。

 それまでの平成ウルトラは知らないのだが、マックスは原点回帰、一話完結オムニバス、という枠をはめられたシリーズだった。でもそれが逆に多彩なストーリー展開、多彩な世界観を構築することができ、特に「恋するキングジョー」あたりから一層の盛り上がりを魅せたのだと思う。大きな物語の流れはなかったかもしれないが、ユニークな一話完結のエピソードの中に、伏線的にはカイトとミズキの関係とか、アンドロイド・エリーの覚醒とか、物語を紡ぐ縦糸があり、それが最終エピソードへ向けて収斂して、大団円の結末へ至ったと思う。次作のウルトラマンメビウスがどういうストーリー構成となるのか、マックスがマン・セブン時代への回帰(?)出会ったのに対し、たぶんメビウスはエース・タロウ時代へのそれとなるのだろう。どちらが良いなどは好みの問題だろうが、いずれにしてもチェックしてみようと思う。

 最後に、マックスの印象深い話を振り返っておく。といっても、このブログにアップしたのが、僕にとっての印象深かった話なわけで、その中で最終エピソードを除く一番は、

 奪われたマックススパーク

だろう。正当派ウルトラシリーズの物語として楽しめた。次点としては、

 狙われない街
 恋するキングジョー

「狙われない街」は「胡蝶の夢」とともに、久々に実相寺監督のウルトラが見られた事が何より嬉しかった。「恋するキングジョー」は昭和ウルトラの世界。

 例の、「第三番惑星の奇跡」がおそらく傑作の評価高い話であったろう。僕もそれを認めることにやぶさかではないが、まあ、へそ曲がりと言うことで・・・。
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2006年03月28日

地球壊滅の序曲〜つかみとれ未来

 ウルトラマンマックス最終二部作、あるいはその前の「星座泥棒」をプロローグとして加えて、最終三部作というところか。予想を上回る完成度の結末だったと思う。

 地下空間に住むもう一つの地球の住人デロスが人類による地球環境破壊の影響で滅亡の危機に瀕し、そのために人類へ全地球上の経済活動の停止か滅亡かの二者択一を迫るという筋が縦糸。地中から照準を合わせたバーサークシステムにより地球上の全UDF基地が破壊される展開は、どうしてもセブンの「史上最大の侵略」を思い起こさせる。セブンの場合はゴース星人が宇宙空間の監視網をかいくぐって地中に潜伏したという違いはあるものの、地下からの攻撃、全防衛基地の破壊、それから、変身することを制される主人公、ヒロインの眼前で変身、ラストで一列に並んだ隊員達が帰っていったウルトラマンへの思いを語る・・・僕的には、セブンの最終エピソードと形式的な類似性をあえて作りながらも、そのメッセージを実にマックスらしい明るさ、肯定感に満ちた結末にまとめたこのマックスの最終エピソードは、とても心に残るものになった。

 セブンはもはや変身することもままならないほど消耗しているにも関わらず、文字通り最後の力を振り絞って、アマギの、そして人類の危機を救い、死して宇宙へと帰っていった。キリヤマ隊長は「我々の地球は我々人類の手で護らなければならない!」(台詞違うと思うけどご容赦)という悲壮感に満ちた決意を語ったが、マックスではヒジカタ隊長はむしろ穏やかに「地球の未来は我々人間が自ら掴み取らねばならない」(それはできるはずだ)と語る。この健全な未来志向は、シリーズが謳った原点回帰、マンのそれにほかならないだろう。太陽のようなこの未来に対する明るい肯定感は、セブンのその悲劇性が三日月のような美しさを放っているのとは本当に対照的だ。

 この「つかみとれ未来」は、印象的なシーンの目白押しだった。その前にまず、オートマトン(特に涙を流している個体)や機械獣を思わせるスカウトバーサークのデザインがかなり良い。

 そして冒頭から、倒れたミズキをマウスツーマウスで救命救急するカイト。「ミズキ、還ってこい!。一緒にいるんだ!・・・ずっと、ずっと」と涙ながらにつぶやくシーン。

 デロスとの誓いを交わし、蘇生したミズキを抱きかかえ、「(マックスは100%ギガバーサークに倒されるという)そんな予測も外れになるさ!」とマックススパークを構えて変身に移行するシーン。光に包まれるカイトを見上げ「私、知ってた気がする、カイトがマックスだってこと・・・」とささやくミズキ。例によって素敵な表情で魅せてくれる。

 マックスに変身したカイトがミズキを抱きかかえ、地中世界から地上世界へと戻る途中、マックスの姿のカイトにミズキが「カイト、ずーっとマックスとして闘ってきたんだね。私達が出会ったあのときから」と語りかけるシーン。変身後のヒーローを変身前の名前で呼ぶ、というのはセブンのラストもそうだけれど、かなり重要なことだと思う。この後、始めて二人が出会った回想シーンを劇伴が盛り上げてくれる。OPのメロディラインを使わないマックスの劇伴はかなり良い。

 地上に脱出する過程でエネルギーをかなり消耗してしまい、結果的にギガバーサークに捕捉されてしまうマックス。死期(?)を悟り、「最後まで一緒に闘うんだッ、マックス!」と叫ぶカイトをマックスが無理矢理分離するシーン。

 治療室で治療を受けるミズキのベッドの横でミズキにずっと付き添うカイト。

 自分を地上に返してくれたマックスギャラクシーをマックスに届けるため、「俺だって、マックスなんだーっ!」とマックスギャラクシーにカイトが飛び込み、再びマックスと一体化するシーン。太陽エネルギーを集めてマックスギャラクシーに集約し、マックスを蘇生させるというアイデアも秀逸。

 ギガバーサークがマックスの技の前に倒れ、バーサークシステムは解除されて平和が戻る。ようやく自らの気持ちを素直に表すことができたカイトとミズキ。はにかむ二人をはやし立てるDASHの仲間達。

 そしてラスト、50年後の未来。温暖化の影響なのか海の広がる東京湾にそびえ立つ二つの像・・・マックスとバーサーク。そしてベースタイタンから航宙艦出航の景色。「私たちは未来をつかんだよ」と孫の銀河系探索への旅立ちを見送るカイトとミズキ。陽光のなか、優しく手を握り合う二人、そして机の上には、「あの時」のDASHの仲間のホログラフィー。感動的な劇伴とともに、「人類最後のフロンティア」銀河系へと旅立っていくUDF航宙艦を見送って大団円・・・。

 思わず羅列してしまったが、これまでのマックスの良さをすべて凝縮し、心温まる優しさと希望を与えてくれた名作としてマックスは幕を閉じたと思う。ストーリー展開の細かい「?」はやむを得ないとして、今のウルトラシリーズでこれくらい思い入れることのできる作品に出会えたこともまた嬉しい。これだけの作品に仕上げて下さったスタッフ、キャストの方々に感謝したい。

 さて、カイトとミズキは平成のダンとアンヌになったろうか?。決して成就されることのないアンヌの想いは、ミズキとなって叶えられた、ということだったのではないかと思う。

 後一つ、蛇足ながら、ヨシナガ教授の「ウルトラマンは勝てるかしら・・」という台詞。この(マックスは、ではなく)ウルトラマンは、というところが泣かせてくれる。

 マックス最終エピソード、ということで、マックス関連のブログにいくつかTBを打たせていただいた。どうかご容赦を。

追記(2006年3月29日)

マックス関連の幾つかのブログでリンクが張られているが、最終エピソードの脚本を担当した脚本家の小中千昭さんのサイトマックスの脚本執筆に関連するエピソードが紹介されている。とても興味深いエッセイで必読。
posted by おだまさ at 02:00| Comment(2) | TrackBack(5) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

星座泥棒

 ウルトラマンマックス37話。監督八木毅、脚本小林雄次。最終エピソード直前のマックスの中で、ファンタジックな佳品だった。シンプルなピアノのBGMと星空の美しい映像がストーリーを盛り上げていた。シナリオの縦糸は、マックスでも何度か見られたプロット、行き過ぎた文明への警鐘としての異星人(怪獣)の襲来、であるが、その線として見るのではなく、ミズキを通して、星空を愛する人類、と同時に文明、夜を圧する灯火という形で星空を消し去ってしまう矛盾という横糸で見るべきだろう。星空を消し去るその灯りは、平和であることの象徴でもあるというもう一つの側面を持っている。

 星空を無くした現状を肯定するのではなく、かといってそれを悲観するのでもなく、太古から続く星空への憧憬を持ち続けることこそ、「いつまでも皆でいられる」こと、平和を保ち続けることにつながっていく、ということではないか。

 そういう大局的なプロットの中に、「かけがえのない思い出」を描くことで、エースパイロット・ミズキを描き出している。パイロットになる原点は星空への憧れにあったという彼女が、パイロットとなって夜空を飛行したときに、近づいた星空と共に眼下に広がる街の灯りに安らぎを覚えた(のだろう)という描写はステキだった。それは彼女がUDFの隊員となって地球を護りたいという想いと一直線につながっている。

 個人的なエピソードが描かれることの少ないシリーズにあって、これまでにもカイトに対して(あるいは任務に対して?)複雑な心境を想像させる描写のあるミズキだが、今回もそれとつながる感じで、ミズキの純な思いが彼女の素敵な表情に顕れていた。そういう意味でも嬉しい作品だったと思う。ラスト、美しい星空と街の灯火をバックにダッシュバードでパトロールするミズキとカイト。こんなに素敵なデートコースはそうはないだろう。

 サドン星人とケプルスの襲来については、どうしても細かい点が気になってしまうので、ミズキの視点から星座泥棒のことを考えてストーリーを味わうのが良。

 脚本を担当した小林雄次さんのブログ(タイトルがずばり星座泥棒)にも、今回の作品の脚本についての思いが記されている。オリジナルのストーリーは、どのような形だったのだろう。

 さて、いよいよ次週からの最終エピソード前後編。今回のエピソードが係わっていくのか、カイトとミズキはダンとアンヌに再来となるのか、気になるところ。
posted by おだまさ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月21日

米国産牛肉、再び輸入禁止

 前に「さよなら、吉牛・・・」なんていうエントリをアップしていたので、このニュースについても覚え書き。

成田の検疫所で、米国から輸入された牛肉にBSEの病原体が溜まりやすい特定危険部位である脊柱が混入していることが確認され、政府は米国産牛肉の輸入を当面、全面停止することとした。(東京新聞webサイト、2006年1月20日トップ記事

 この記事によれば、しかも
農水省動物検疫所成田支所によると、危険部位混入が確認されたのは、日本の商社が見本として空輸した牛肉で、目視検査で明らかになった。
とのこと。見ただけで特定危険部位が入っているのが分かる状態だった、ということだ。また、毎日新聞の記事に拠れば、
この肉は米ニューヨーク州の中小の食肉処理施設が出荷した。日本向け輸出をするための認定を米政府から受けており、検査官も常駐していた。
 輸入再開の条件は、特定危険部位がアメリカできちんと取り除かれていること、であり、視察団を送ってその条件が遵守されるシステムになっているというコトを確認して輸入再開を決めたのに、たった一ヶ月で、アメリカの杜撰な検査体制を示唆するこの展開。輸入再開する前後で、独自にアメリカに調査団を送って、時期尚早という判断を下したのは牛丼チェーンのすき屋だが、まさにそれが裏付けられたようだ。

 これを、わずか一件、と思うか、重大な一件と思うかは人によるかもしれないが、それ以前に、
イトーヨーカ堂も「米国産を使わないからといって牛肉の売り上げが落ちているわけでもない。オーストラリア産牛肉の質は上がっており、消費者が不自由に感じていないという状況」(広報センター)だ。(東京新聞
ということだと思う。青くなっているのは外食チェーン(とアメリカ畜産業者)〜売る側ばかり?。
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2006年01月05日

奪われたマックススパーク

 放映は昨年の大晦日だったが、遅れてエントリをアップする。ウルトラマンマックス第27話。

 予告編ではあまりピンと来なかったが、正当的なヒーロー物の佳品だったと思う。マックスはこれまで少し変化球という名作(実相寺作品昭和ウルトラへのオマージュ)が目立っていたが、今回の作品(や、第13話「第三番惑星の奇跡」)などは平成ウルトラ・・・というよりウルトラマンマックスとして傑作だったと思う。

 出現する怪獣はエレキング、それを操るのがピット星人、という辺りは旧作の敵の再登場だが、それはあまり本質的ではない。バイオ技術でエレキングの幼体をばらまき、人間の脳波を餌に生育させるピット星人。DASHが気付いたときには既に都心に多数ばらまかれいて、それらが一斉にふ化したら・・という状況が縦糸なら、横糸はミズキとカイトの微妙な関係だ。

 考えてみれば、勝ち気なエースパイロットという設定だったミズキだが、数回の変化球路線の中でややキャラが沈んでしまった感があったが、今回は色々な意味で光っていた。あらためて思うのだが、彼女は
 「いい表情を見せる・・・」
と思う。純な思いでDASHに参加しているカイトと自分を比べていたのか?あるいはやはりカイトに対する自分の気持ちに気が付いたのか?前半のどこかぎこちないミズキはシリーズラストへ向けての伏線だろうか。

 カイトはといえば、DASHの採用試験に落ちた自分に比べ、ミズキはUDFからの選り抜きのエースパイロットであり、その落差に実はコンプレックスを持っていたことが、マックスに変身できない状況になってあらためて浮かび上がるという構図だった。「俺は俺だ!」とミズキの救援を拒否して(ミズキはダッシュバード3を操縦すべきだから)エレキングの幼体に打ち勝ち、単身マックススパークを奪い返しに行く姿はヒーロー物の王道ではあるが、主人公かくあるべし、と見ていて気持ちよい。

 マックスの正体がカイトであることにミズキは気づき始めたかもしれない、ということはだだ星人さんのブログUNS digitalさんのエントリでも触れられていたが、今後そういう展開になるかもしれないと僕も思った。その意味で、同エントリのコメントにある「カイトとミズキは新世紀のダンとアンヌになるんでしょうか」という問いには僕も同意したい。これもだだ星人さんが触れているけれど、ラスト、去っていくマックスを見上げるミズキに遠くからカイトが「おーい!」と手を振りながら駆け寄ってくるシーン、カイトが何故かダンに見えてしかたがなかった。それくらい、あのシーンは何故か印象的だった。そして、その理由の一つが、やはりミズキの見せたあの表情なのだろう。

 今回の監督は、「恋するキングジョー」のメガホンも取っていた八木毅氏。ちょっと実相寺イズムを感じさせる映像が印象的で良かった。夜の都心の非日常の不気味さが良く描かれていた。対するDASHのメカ達も久しぶりに大活躍。ダッシュドゥカを駆るミズキの背後にオート操縦のバード3が飛んでくるカットはかなりカッコ良い。

 マックスの戦闘シーンもキレがあったし、夜の都会での戦闘というのは個人的に好きだ。ラストのアイスラッガー・・・じゃなかった、マキシウムソードの乱舞も見事だったと思う。こういう映像力は平成ウルトラの強み。

 ピット星人はセブンに出ていたようだが・・・失念していた。それにしても思うのがあのころのウルトラに出てくる敵のデザインの秀逸さ。こればかりは、今のウルトラでは出てこないものかもしれない。

 ということで・・・ミズキ役長谷部瞳さんの期間限定ブログ(更新完了している)へのリンクを張ったりする。
posted by おだまさ at 23:33| Comment(0) | TrackBack(1) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月15日

さよなら、吉牛・・・

 僕にとって、牛丼と言えば吉野屋だった。基本的に牛丼しかメニューに無いという潔さや、ちょっと場末の寂しい雰囲気が好きだったし、学生時代の徹夜のバイト明けにお世話になったB定(納豆定食)も思い出深い。

 アメリカでBSE(牛海綿状脳症)に感染した牛が発見され、アメリカ産、カナダ産牛肉の輸入が禁止されて2年。これはチェーン店から牛丼が姿を消した2年だったわけだが、この12月に内閣府食品安全委員会(委員長・寺田雅昭国立がんセンター総長)は、プリオン専門調査会(座長・吉川泰弘東大教授)での審議の結果として、生後20ヶ月以下の牛で、脳などの特定危険部位を取り除くという条件が守られれば国産牛肉とのBSEに対するリスクの差は小さいとして、検査無しで輸入を認めるという答申を出した。

「生後20ヶ月以下の牛に限って検査無しで輸入してもBSEのリスク非常に低い、とプリオン専門調査会」asahi.com(2005年10月5日)
「食品安全委員会、危険部位を取り除くなどの輸出条件が守られれば国産牛とのリスクの差は非常に小さいと厚生労働省と農林水産省に答申」毎日新聞(2005年12月8日)

 しかしながら、毎日新聞の記事にあるように、国民から募集した意見の5割強は反対だった。また、牛肉輸入再開に当たっては、露骨なアメリカ政府からの外圧、日本が輸入再開しなければ対日制裁も辞さないというアメリカ議会、アメリカも日本産牛肉の輸入を禁止している事実等々、あまりにきな臭い。ブッシュ大統領も牧場主だったはず。

 ということで、9月の衆議院選挙の与党大勝以来、与党に懐疑的な僕としては、この輸入再開に至る流れも懐疑的に見ざるを得ない。

 という状況下で吉牛なのだが、吉野屋はアメリカに牛肉供給を頼っていたために、輸入禁止されて牛丼がすっかり店頭から姿を消した。したがって、ファミレス業界とともに誰よりも輸入再開を待ち望んでいるわけで、吉野屋のwebサイトに行ってみれば、トップページに「米国産牛肉全面的早期輸入再開を求める会」のバナーが張ってある。それから、「吉野屋の考える「安全」と「安心」について」というページでの中で「特定危険部位を除去した30ヶ月齢以下の牛は安全」とPRしている。

 まあ、確かに、BSE検査性とか、リスク管理(確率で物事の危なさを判断する)の観点からはそうなのだろう。でも、アメリカで、そういう牛であることが確実に担保されるのかどうか?

 同じ牛丼チェーンのすき家では、自分たちで調査団をアメリカに送って、「日本の国民の皆様に、消費者に「安心して食べて下さい」と言える段階ではない(リンク先はpdf)」という認識を持つに至っている。

 皮肉な見方をすれば、すき家のメニューは牛丼以外にも豊富だからアメリカ産牛肉の輸入が再開されなくも困る度合いは吉野屋よりは低いだろうし、逆に吉野屋の客を奪うチャンスのためにも輸入牛肉は危険というコトを言っていると取れなくもない。しかし、全く嘘でたらめのプレスリリースをすることは無いだろうし、アメリカの検査、管理の杜撰さは真実か否かは不明にしても漏れ聞こえてくるところがあり、前述の与党が信用できない=アメリカ政府を信用できない僕としては、すき家の認識に頷いてしまうものである。

 だから、アメリカ産牛肉の輸入が再開されれば、もはや吉牛に行くこともない、だろう。さよなら、吉牛。牛丼が食べられるようになったら行かなくなる、というのも皮肉なモノだ。

 輸入牛肉というと肉の塊だけを思い浮かべがちだが、加工製品も対象になっていたのだろうか?良く知らないのだが、某チェーンでフライドポテトを揚げる油、カップラーメンなどの牛肉エキスなんかも、輸入禁止されていたのが解禁になる、ということなのだろうか。そういうことであるのなら、消費者が取捨選択できないレベルで使われる牛肉製品があるという点で深刻かもしれない。

 輸入果物のポストハーベスト、中国野菜の農薬漬け、食材のゴミで作った日本向けの韓国産餃子などの話を引くまでもなく、食べ物は日本の人が日本で作った(獲った)モノが良い、というのが僕の基本的な考えでもあり、できるだけそうしたい、と思う。

 で、上で一部リンクを張っている「きっこのブログ」だが、強度偽装事件で知って以来、ちょくちょく拝読している。こういう反コイズミ系サイトはよく見るのだが、衆院選挙前によく見た賛コイズミ系のサイトは、最近あまり見ない気がする・・・。
posted by おだまさ at 01:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月12日

狙われない街

 実相寺監督作品第二段にして、セブンの名作「狙われた街」を想像させるタイトル。先週の次回予告では、事件が発生する街が北川町で、夕日に照らされる街をバックに立つメトロン星人。など、セブンの「狙われた街」とどういう関係にあるのか、興味津々でオンエアを見た。

 先日の実相寺監督作品「胡蝶の夢」とは異なり、幻想的な照明、背景は少なく、写実的な画面が多い。個人的にはコチラの映像の方が好みだ。とあるブログで昭和ウルトラ風という形容がされていたが言い得て妙だ。それでも、随所に出てくる冴えた構図、色使い、独特の(効果音を含む)BGMの使い方・・・引き込まれた。

 それ以上に、個人的に衝撃だったのが、今回の事件の舞台が北川町で、そこでは40年前に同じ様な事件が発生していた、という展開の中で、セブンの映像が使われた点。もちろんセブンは登場しないが、当時(40年前)煙草に仕込まれた紅い結晶体を調べるウルトラ警備隊の制服(といっても手首だけだけど・・・)や、飛んで逃げるメトロン星人を攻撃するアイスラッガー、そのドキュメンタリー的な映像が印象的だった(大人しい人が突然暴れ出すという事件の紹介)シーンなどで、セブンの映像がそのまま使われたことだ。

  セブンに撃墜されたメトロン星人が、実は親切な民間人の手によって助けられ、40年間(シーボースのいる!)怪獣倉庫で潜伏してきた、という展開は少し無理っぽい?という感が無くもないが、セブンでありマックスであり・・・ウルトラシリーズであるということなのだろうか。セブンの一つのパラレルワールドとしてマックスが派生したと言ってもいいのだろう。旧作へのオマージュで、ここまで見事な描き方には感嘆せざるを得ない。

 他にも印象的なカットは、突然暴れ出す人々に当たる赤い照明、とか、そういえばウルトラ警備隊の本部も暗かったが、何故か妙に暗いダッシュの本部(ベースタイタン)、とか、もしかして同じ場所なんだろうか?という寺院、そして今や時代に取り残された感のある薄汚れた集合住宅、ちゃぶ台を囲んで会話するメトロン星人とカイト・・・。そして、ラストの夕日をバックに対峙するメトロン星人とマックス・・・。鉄橋のある川の水面に映るメトロン星人は当時と同じだが、北川町にはかつての繁栄または象徴のような工場街はもう無いようだ。

 というように、セブンとのつながりのあるストーリー展開や、それを随所に思い出させる映像だけでも満足度はかなり高いし、メトロン星人の"円盤"(こういう表現がふさわしいだろう)の「あの」飛来音を聞いたときなど飛び上がってしまったのだが、さらに、本来のストーリーでも唸らせてくれるのが今回のテーマだ。

 携帯という便利なツールを得て、傍若無人な振る舞いが当たり前のとなった現代の若者達への批判・警鐘・・・と書いてしまえば陳腐なテーマかもしれないが、まさに現代を象徴している一つの様相ではある。そして、そこに対比して描かれているのが、かつての北川町ではメトロン星人の謀略に煙草が利用されたという点。劇中二回ほど、楢崎刑事(六平直政さん)が煙草を吸おうとして「禁煙」に気付いてやめる、というシーンがある。かつての北川町では煙草が一般大衆への謀略の媒体になり得たが、今は「禁煙」のためになり得ない、ということでもあるが、それは「理性・知性のある人間なら"禁煙"という公共の約束事を遵守する」というコトの裏返しでもある。かたや、そのような公共の約束事を全く護らないのが、現代の若者の公共の場での携帯操作や化粧直しであり・・・まさにメトロン星人は人類の弱み?を知り抜いている。

 セブンの時は「人の信頼関係を利用するメトロン星人は恐ろしい侵略者だった。だがご安心下さい。これは遠い未来のお話です。なぜならば、今の私たちは、そこまでお互いのコトを信頼していませんから」というようなナレーションで幕を閉じる「狙われた街」だったが、果たして40年後、メトロン星人に狙われる信頼関係を確立するどころか、対人関係をツール越しにしか築けず、傍らにいるはずの人すら居ないように振る舞うコトが当たり前の、まさに「狙われない」・・・狙う必要のない社会が出来上がっていようとは・・・。そういう若者を描写するシーンに被る効果音が猿の鳴き声というのは、かなり辛辣だ。

 ラストの楢崎の独白「できるなら俺も連れていってもらいたかった」、そして「メトロン星人は地球を見限ったんだ」というカイトの台詞。まさにやるせない結末だが、その後ミズキは「でも・・・」と何を言おうとしたのだろうか?その心とともに、「宇宙人や怪獣より怖い」サル・・ならぬ人間の犯罪に怒りを燃やす楢崎刑事の存在そのものが、救いと思うしかない。その一方、ビルの屋上の青空がバックでは、自滅する一方だとメトロン星人に喝破された人類への悲壮感が全く感じられない。これがまた、このストーリーの恐ろしいところだろう。

 地球人の姿でいるときのメトロン星人を寺田農さんが怪演。さすがに「見ろ、人がゴミのようだ」は無かった(当たり前だ)が、人なつっこいようで憎めないのだが、信用できない不気味さのあるメトロン星人の雰囲気が非常に良く出ていたと思う。最近のマックスの脇役のキャスティングは冴えている。

 メトロン星人は巨大化したものの、マックスと全く戦うことなく円盤に乗って去っていった。呑気に手を振っている場合じゃないぞマックス、という突っ込みはともかく、BGMには赤蜻蛉を流すし、ダッシュバードどころか必殺武器すら登場させないとは、また何とスポンサー泣かせなお話を作ったモノよ、と思う。実相寺監督のネームバリューならでは、だろう。今のウルトラシリーズで、こういうエピソードを撮ることができるスタッフが育っていって欲しいと思う。

 ということで、個人的にはマックス白眉の一本、だった。

(追記)
今回の脚本も担当された脚本家の小林雄次さんのブログ「小林雄次の星座泥棒」に「狙われない街」のライターから見たコメント裏話が少し紹介されている。それによると、最後のミズキの台詞には、準備稿では続きがあったらしい。それをああいう形でカットしたのは監督の意図だという。

 コメント欄のreal氏にも「でも・・・」の後に演出効果があると指摘を受けた。推察するに、ミズキの台詞はやはり「人類も悪いところばかりではない」という内容だったのでは。それを、フィルムを強引に千切るように(あるは、フィルム切れでフィルムの終端に達してしまったように)台詞の前でカットしているのだから、監督の意図たるや明らかだろう。

 それでも、我々はメトロン星人の見捨てた「狙われない」星で生きていくわけで・・・。
posted by おだまさ at 01:47| Comment(2) | TrackBack(2) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月03日

胡蝶の夢

 荘子が蝶になっていた夢を見る。ふと目が覚めるが、自分が蝶になった夢を見ていたのか、蝶が荘子になった夢を見ていたのか、どちらなのかわからない(胡蝶の夢「荘子・斉物論」)。

 ウルトラマンマックス第22話「胡蝶の夢」では、"21世紀空想科学特撮シリーズ・ウルトラマンマックス"の脚本家・蓮沼(石橋蓮司)が主人公だ。劇中、彼が描くウルトラマンマックスの世界と彼の居る現実世界が交互に入れ替わり交錯する。彼の見る夢がウルトラマンマックスの世界なのだが、夢のハズなのにいつの間にか自分が夢の中でカイトとして振る舞っている。物語の終盤、遂に蓮沼は「夢の世界」のカイトになり、カイトは「現実世界」で蓮沼となってしまう。蓮沼が夢の中の怪獣作家に示唆を与えて誕生した無形怪獣「魔デウス」が「夢世界」(マックスの世界)を蹂躙する中でカイトと化した蓮沼がマックスとなり、怪獣を倒す。

 ・・・とまあ、無理にシナリオを要約してみたわけだが、この訳の分からない世界をおどろおどろしく描いた監督が鬼才・実相寺昭雄監督である。「恋するキングジョー」のエントリで登場を期待したい、と書いた、ウルトラシリーズには外せない監督である。

 ある意味安っぽい三原色の照明、作り物の蝶々を飛ばせる演出、しかしディティールにこだわった作家蓮沼の部屋。全編を彩るパチンコ屋のノイズや逆に戦闘シーンでは効果音を排するという音響。独特のライティングや登場人物を真正面から捉える構図などなどは実相寺イズムが健在であることを示していて、そのシュールな世界にすっかり引き込まれた。

 全く無機質な(オモチャ化できない^^;)怪獣魔デウスも秀逸。それから、こういうストーリー重視のシナリオでは主人公がウルトラマンに変身して怪獣と戦う途端に、それまでのストーリーからの乖離が作品を「怪獣モノ」へと引き戻し興醒めする面が無きにしもあらずということがある中で、劇中に「怪獣モノの世界」を設定することでその点を上手く回避していて、をこういう見せ方があるか、と感心した次第。しかし、遂に主人公以外に変身させてしまうとは・・・。

 ディティールの中では、「名前から発想しますか。天才金城哲夫的ですね。」という台詞をやはり上げておかなければ。金城哲夫氏は、ウルトラシリーズの生みの親的脚本家だが、僕にとってはどうしても悲劇の脚本家であり、セブン最終話「史上最大の侵略」(あのソガの台詞・・・)の脚本家というイメージが強い(金城哲夫論として、東北大SF研OBのエッセイを見つけたのでリンクしておく)。その名前が実相寺作品に出てきたということの意味は・・・。セブンの名作「狙われた街」も金城哲夫氏のシナリオだった。これも一つのオマージュ(というより哀悼)なのかもしれない。魔デウスに取り込まれたマックスが腕を交差させて回転するシーンもまた、デジャブを感じた。

 というように、至極満足な一本だったが、当然ながら5才の息子には、訳が分からず「怖い」一本だったようで、いつもなら毎日録画したマックスを見せろとうるさいところが、今回に限っては一度も言わなかった(笑)。「第三番惑星の奇跡」のような破壊され尽くした街という映像の怖さではなく、人間の描写の怖さにおびえていたらしい。さもありなん。怪奇大作戦というところか。

 こういう話をよくぞ映像化したと変な感心もしてしまうのだが、これまでのお笑い系のストーリーとともに、全体としてマイナーな本数であって、王道のストーリー(勧善懲悪怪獣退治)があるからこそ、こういう異端的な話の面白さが引き立つ。

 実相寺作品は、もう一本、第24話「狙われない街」で、これも楽しみである。その前に、23話「蘇れ青春」ではイデ登場。同窓会エピソード第2段。
posted by おだまさ at 01:43| Comment(0) | TrackBack(1) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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