2005年11月12日

3世紀ころのキリスト教会跡が発掘

 遠藤周作氏の「キリストの誕生」を読んだエントリをアップしたが、タイムリーというか何というか、これまでで最古と思われるキリスト教会らしき遺跡がイスラエルで発掘されたというニュースが、同じ日にあった。

 YOMIURI ONLINE(拡大写真あり)
 asahi.com(写真あり)

 記事によれば、場所はイスラエル北部のメギド・・・ハルマゲドンがあったとされる場所、確か映画「オーメン」では反キリストが生まれた場所、だったか。そこにあるパレスチナ政治犯を収容する刑務所の拡張工事に際して遺跡が見つかり、発掘作業が行われていた中での発見だそうだ。

 これまで知られていた最古の遺跡は4世紀(330年頃)のエルサレムの聖墳墓教会、ベツレヘムの聖誕教会であるが、いずれもわずかな痕跡しか残されていなかったようだ。今回発掘された遺跡はそれよりも古い3〜4世紀の可能性があるという。遺跡からは、初期キリスト教でキリストの象徴とされた魚(イクトゥス)のモザイク模様やギリシア語の碑文(「テーブルをイエス・キリストを追悼して捧げた」)などが見つかった。3〜4世紀頃のこうしたキリスト教関係のモザイクや碑文が見つかるのは非常に珍しいことのようだ。

 3〜4世紀というと、イエスの死後200〜300年、コンスタンチヌス大帝のミラノ勅令によりローマ帝国でのキリスト教が公認された(313年)頃である。逆に言うと、これ以前のキリスト教は異端者扱いされて迫害されてカタコンベ(地下墓地)に潜っていたわけで、教会らしい教会は無かったのかもしれず、遺跡の年代が3世紀頃ならば、まさに最初期の教会ということになるのかもしれない。

 何にせよ、古い遺跡の発掘・発見というニュースには、心惹かれるものだ。

 余談になるが、聖墳墓教会のリンクを張らせていただいたハシムさんのサイト「世界史への旅」はさまざまな国への旅行記がアップされているが、イスラエル旅行記は最新の2005年7月の記事で、今のエルサレム周辺を見ることができて非常に興味深かった。
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2005年10月30日

マックスにモロボシ・ダンが・・・

ウルトラマンマックスのエントリを前に書いている(恋するキングジョー)が、またまた関連エントリ。

第18話「アカルイセカイ」は巨大な集光板を使って夜の時間帯も昼のように明るくしてしまい、自身の虚像を発生させて侵略するというシャマー星人の話。佐藤正宏さんが、妙に明るいけどでしゃばりで図々しくてむかつくシャマー星人を見事に演じていた。DASHに集光板を破壊されて虚像を描くことができなくなり、宇宙船もマックスに破壊されて侵略は阻止された、という流れだが、身長10cm程度(?)という実像のシャマー星人は倒されたわけではなくまだ地上にいて、ラストに
あなたの側に、明るいけど図々しい友達がいたら、夜に会ってみることをお薦めします。もしかするとシャマー星人かもしれません。
という佐野史郎のナレーションが被るさまは、マンかセブンの(ウルトラQ的な)雰囲気たっぷりだ。そのまま終わらず花火のバックにしたカイトとミズキのシーンでエンド、というのが今風なのかもしれない。

とまあ、楽しめた本編であったのだが、「それよりもなによりも」が、次回予告だ。来週(11/5)放映の「扉より来たる者」では、遂にモロボシ・ダン登場!・・・と間違えた、森次晃嗣さんが登場。トミオカ長官(黒部進さん=ハヤタ)の後輩という考古学者役で出演するらしい。おまけに予告編では、眼鏡をかまえて腕を前に突き出す・・・つまりウルトラアイでセブンに変身するシーンそのままのカットが挿入されている!。これだけでももう楽しみ。

懐古趣味といってしまえばそれまでだが・・・そういうオマージュを挟みつつ、今のウルトラマンらしい演出とストーリーを作って欲しいと思う。

そしてさらに!。マックスのストーリー情報をググっていたら、ウルトラマンマックス放映リストというサイトを見つけた。これによると・・・第23話、24話を、あの実相寺昭雄さんが監督するらしい!!!。やたっ。しかも第24話のタイトルは「狙われない街」で登場する宇宙人がメトロン星人だという。これは、セブンで実相寺さんが監督した「狙われた街」(もちろんメトロン星人登場)とどういう関係にあるのだろうか?4畳半の安アパートにちゃぶ台はさんでセブンとメトロン星人が会話をするというような(今となっては)シュールなシーンをまた見ることができるだろうか。ともかく、実相寺さん独特のカメラワークと演出を楽しみにしたい。
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2005年10月13日

Keith Emersonのライブ!!!

キース・エマーソンのライブ(大阪公演)に行ってきた!!Emerson, Lake & PalmerELP)ではなく、キース・エマーソン・バンドとしてのライブで、ELPの35周年ワールドツアー、ということのようだ。前回見たライブは、再結成ELPの2回目のワールドツアーだから9年ぶりになる。

キース・エマーソンの名を知ったのは中学生の時、映画「幻魔大戦」のサントラだった。ローズマリー・バトラーの歌う"光の天使(Children of the Light)"の荘厳さにも感動したが、東丈達が溶岩竜と化した幻魔と対決するラストにかかる "地球を護る者(Challenge Of The Psionic Fighters)"にヤラレた。以来、ELP、その前身のThe Nice、ソロ活動としての映画音楽・・・気が付けば20年以上聞き続けている。

再結成したELPのセカンドアルバム"In The Hot Sheet"がはっきり言って駄作(涙。でも"Hand of the Truth"は良い!)で、ELPが瓦解してしまい、もはやキースの来日もあり得ないか・・・とあきらめていたので、自分のバンドを率いての来日する事を知ったときの感激たるや!!!。

場所は大阪厚生年金会館の芸術ホール。決して広い会場ではないが、逆にこれまで見たELPの2回のライブよりもキースを近くで見ることができた。

19:00ちょっと過ぎに開演、それから2時間あまり、キースはほぼぶっ続けの演奏で、ELPの曲はもちろん、Nice時代の曲やソロの曲などバラエティに富むラインナップを聞かせてくれた。合間のMCは、日本人からもらったという日本語アンチョコを老眼鏡をかけながら(!)読んで笑わせてくれる茶目っ気を見せてくれる。60歳になってもその人なつっこい笑顔は変わらない、本当に愛すべきキースなのだ。

もちろん、演奏もELP時代を彷彿とさせるアグレッシブさは健在、ややミスが多かったかな、と思わないでもないが、そんなことは関係ない。オルガンを攻撃するような演奏、延々と続く左手でのリフの繰り返し、グランドピアノをしっとりと、またジャジーに聞かせてくれる。そしてもちろん、ムーグシンセの巨大なユニットから、分厚いアナログサウンド!。さすがに、あのぼろぼろの(パフォーマンス専用の)ハモンドオルガンはなかったが、Goff professionalのオルガンサウンドもたっぷり聞くことができた。

面白かったのは、"タルカス"などでおなじみの銅鑼の音をキースのキーボードで出していたこと。さすがにカールと違ってドラマーは持っていなかったか(^^;)。

当然ヴォーカル付きの曲もあるわけだが、このバンドのヴォーカル兼ギタリストのDave Kilminsterが張りのある声を聞かせてくれる。かつてのグレッグのような甘いテナーボイスではないが、近年の声のでなくなったグレッグよりも、聴き応えがあったと言わざるを得ない。ドラムのPete Rileyも手数の多いドラムソロを見せてくれた。ベースのPhil Williamsは・・・凄く地味だった(^^;)。

当日の曲名は下に書いているが、結構驚きの選曲が幾つかある。ナイスの"カレリア組曲"や"カントリー・パイ"がそうだし、"タルカス"をフルバージョンでやったのも驚き。おまけにKing Crimsonの"エピタフ"をフューチャーしている。グレッグはELPの前にクリムゾンに在籍していて、"エピタフ"も彼の曲といこともあって、ELPのライブではグレッグが歌っていたのだが、それがそのまま再現されようとは。"ホーダウン"もライブでは珍しいのではないだろうか?個人的に大好きな曲なので、もう大喜びだった。キースの"ピアノ協奏曲第一番第3楽章"は・・・純クラシックの曲をこの4人編成でやってしまうのがキースだ。

グランドピアノで奏でられたピアノ曲はアコギとのデュエットで、ニューオーリンズやパキスタンの被災者に捧げる、という綺麗な曲を聴かせてくれた。もちろん、キースの好きな(ホンキートンクの)楽しい曲も。

本編の最後、アメリカのラストに被るように、ムーグの自動演奏で"悪の教典#9第3印象"のラスト部分の(メインテーマの)繰り返しが聴けたのも感激だった。それはライブアルバム「Ladies & Gentlemen」のまさにそれだった。

もう一つ、サプライズ、といっていたのがアンコールの一曲目。こういうのアリ?Led Zeppelinの"Black dog"。ヴォーカルの趣味なんだろうか。これにももちろん、控えめではあるがキースのキーボードが被るわけで、面白いファンサービス。

一方、ちゃんとやってくれたよ、という曲は、まず1曲目の"悪の教典#9第1印象第2部"。ELPのライブといえばこの曲で始まる、ということで、きちんと踏襲してくれた。"Touch and Go"は、やはり格好良い。それから、本来ならアンコール定番だった"アメリカ"と"輪舞"。さすがに馬乗りパフォーマンスはなかったが、逆サイドからバッハの"トッカータとフーガ"を弾くパフォーマンスは健在!。間違えてやり直したのはご愛敬。こういうところがサービス精神旺盛なキースだ。最後の"庶民のファンファーレ"も定番。これで盛り上がらないわけがない。

逆に、やって欲しかった・・・という曲も幾つかあって、一つはナイス時代の"戦争と平和"という曲。これはキースでは珍しいキーボードとギターの絡みがある曲でELPではあり得なかった曲だ。"聖地エルサレム"、"The Score"辺りも聞いてみたかった。こうなったら、来年の再来日を期待するしかない・・・。

ということで、2時間、夢のような、凝縮した時間を過ごした。ELPだけではないキースの様々な曲のプレイがあって、ある意味でELPの呪縛から解き放たれたキースの魅力あふれるライブだったと思う。会場は広すぎず、狭すぎず、すぐ間近にキースを見ることができたのも、一体感という点で良かった。来日してプレイを聞かせてくれたキース、そしてバンドのメンバーにありがとうの言葉を伝えたい。

実はここ数年、ナイスの再結成、キース・エマーソン・バンドでのプレイなど、かなりアクティブな感じのキース。まだまだ衰えるということを知らないようで、本当に嬉しい。後は、今のバンドで新しいアルバムを作ることができるか・・・だが、これも期待して待つことにしよう。

当日の演奏曲目は、大阪公演のセットリスト(ウドー音楽事務所より)を少し修正して、以下に。マギーさんのコメント&レポートも参考にさせていただいた。なお、()内はオリジナルテイクの含まれるアルバム名。
Karn Evil 9 1st Impression - Part 2 (Brain Salad Surgery, ELP)
Piano Concerto No.1 Third Movement: Toccata Con Fuoco (Works, ELP)
Living Sin (Tarkus, ELP)
Bitches Crystal (Tarkus, ELP)
Hoedown -Taken from RODEO (Trilogy, ELP)
Country Pie (Five Bridges, The Nice)
Things in F# static (バンドオリジナル曲)
Intermezzo from the Karelia Suite (Ars Longa Vita Brevis, The Nice)
New Orleans(被災者に捧げる曲)
A Cajun Alley (emerson plays emerson, Keith Emerson)
Creole Dance (emerson plays emerson, Keith Emerson)
Touch and Go (Emerson, Lake & Powell, Emerson, Lake & Powell)
Lucky Man (Emerson, Lake & Palmer, ELP)
Tarkus including Epitagh (Tarkus, ELP)
America〜Rondo (The Thoughs of Emerlist Davjack, The Nice)
〜Karn Evil 9 3rd Impression (ラスト部分)

アンコール
Black Dog (Led Zepperin IV, Led Zeppelin)
Fanfare for The Common Man (Works, ELP)

051013KeithLive.jpg
写真は、会場で購入したポスターグラム(\1,500)とストラップ(\1,500)。ポスターグラムは実は一枚のポスターでツアーメンバーと彼らに対するキースのコメントが載っている。ストライプは黒の革製(キースのイメージか)でKeith Emersonと白抜きされている。リングの部分にKEITH EMERSON JAPAN TOUR 2005という刻印があって、結構気に入っている。
posted by おだまさ at 23:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月04日

恋するキングジョー

唐突だが、今TV放映しているウルトラマンマックスの第14話だ。毎週録画して子供と一緒に見ているが、最新のウルトラシリーズは、ULTRAMANのエントリでも触れたけど、CGが見事で(僕らオッサンにとっての)それまでのウルトラシリーズには無いアングルのカットがあって、結構見応えがある。

といいつつも、これまで特にブログにエントリを上げる程のインパクトは残念ながらなかったのだが、今回の話は、いろいろと胸に来たので、少し書いてみる。

何が気を引いたかと言えば、まずはOPに出てきた脚本の上原正三氏の名だ。セブンや新マン(「帰ってきたウルトラマン」)を始め、数多くの特撮モノのシナリオを手がけてきている氏の脚本ということで、注目。今回のストーリーは「ゼットンの娘」二部作の後編、とてもいうようなストーリーだが、前編で出てきたゼットン遺伝子を持つ娘、夏美が影の主役となる。

ストーリーは、夏美が自身の持つゼットン遺伝子を通じてゼットン星人に操られ、キングジョーを操作して・・・だけど、そういう自分ヲ解放するために、ゼットン星人を倒す、その精神的支えがウルトラマンとなるDASHの隊員、カイトということだ。

ストーリーよりも目を奪われたのがその演出(監督は八木毅氏、不勉強にして知らないが・・・)。夏美がゼットン星人と関係があると掴んだDASHから彼女をマークするために特命で派遣されたカイトが夏美と夏祭りのような残暑の一日を過ごすシーンがあるのだが、その街の情景がまさに昭和40年代の下町の風景。天秤棒をかついだ金魚売りが歩き、子供達はランニング姿でメンコで遊ぶ。狭い路地裏ではおじいさん達が縁台で将棋を打ち、お母さんは七輪で晩御飯の支度。手動の氷かきや、巡回するお巡りさんが飲むラムネ・・・。カイトと夏美の様子をうかがうミズキは70年代ファッション(多分・・・)でアルファロメオ(先代スパイダーの後期型なのはまあ許そう)から降りてくる。古い日本屋敷に帰ってきたカイトと夏美の会話のバックにはヒグラシの声と風鈴の音がずっと流れ・・・

まさに(初代)「ウルトラマン」や「セブン」が本放送で放映されていた頃の時代(工場や公害のイメージはなかったが)がそのまま蘇り、その中に今のウルトラマンマックスがはまっているという図式で、これもウルトラマンの原風景なのかもしれない。これらが実に気持ちいい空間を描いていて、初代「マン」や「セブン」へのオマージュを非常に濃く感じた映像だった。カイトの変身シーンも、本来の文字通り(セブンのように)「変身する」描写はカットされ、カイトがマックススパークをかざして、そのままマックスとなって巨大化するカットが初代マンのようで、そのテンポが気持ちいい。

そういうノスタルジック(?)なシーンの反面、分離したキングジョーとダッシュバードとの空中戦(板野サーカス)や、キングジョーの合体などはCG描写で上手く見せてくれている。そういう今のウルトラシリーズとかつてのウルトラシリーズの不思議な融合の姿が、今回の作品だったように感じた。

それにしてもシンプルなキングジョーのデザインがまた秀逸で、ゼットンもそうだけど、やはりマンやセブンの頃のデザインセンスは凄いと実感する。

ということで、実は来週の「第三番惑星の奇跡」も予告編がかなり印象的で、少し期待してしまったりする。映像的にも色々面白くなりそうなマックス、ここはやはり御大、実相時昭雄監督にご登場願いたいところだ。

ところで、今回の話「恋するキングジョー」をググってみると、好意的なブログとしては、Y's WebSite : Blog 〜日々是好日〜さんくらいで、否定的な意見が多いようだ。特に上で述べた昭和40年代の描写を指して「あんなところ今の日本にはどこにもない(わけがわからん)」という記述や、マン・セブンの最強怪獣にしては扱いが酷い、(マックス全体の)設定やストーリーがマズすぎる、という指摘が多いようだ。そういう見方、感じ方もあるのだなあ、と思う次第。多分、僕以上にウルトラシリーズに思い入れのある人が見ると、そういう感覚になるのだろう。確かに首を傾げたくなるような描写や設定が多いのは事実で、目の肥えたファンは腹に据えかねるのかもしれない。そういう意味で、あの映像は「ウルトラマンを懐かしんでいる」ような僕だから、胸に響いたのかも。
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2005年06月12日

仮面ライダー・ファースト

仮面ライダーの新シリーズのことではなくて、あの「技の1号、力の2号」が新作映画となって復活するらしい(yahoo!ニュース)。

映画「仮面ライダーThe First」公式サイトには、まだトップページしかないので、詳細は不明だが、このトップページに載っているライダーの1号、2号のデザインは、結構ツボにはまっている。つまり、オリジナルの1号、2号のデザインをほぼ踏襲し、細部を今風にアレンジしているという感じなのだ(風車のベルトはそのまんま)。

僕がリアルタイムで見ていた最後のライダーはBLACKで、特に石ノ森章太郎さんの原作では、生体改造されたバッタ人間という設定をリアルに表現しようと、よりバッタと人間との"キメラ"に近い描写がされていたが、この"ファースト"は、TV版オリジナルにきわめて近いデザインで、そういう雰囲気はない。ある意味で、オリジナル同様、戦闘用コスチュームとしてのイメージが強い。

でも、いいのである。真っ黒けの地味〜なデザインに赤いマフラーの1号、それより明るめ、緑のメット(と言っていいのか?)が冴える2号(手袋は赤くないのね・・)。プロテクターやメットのデザインも地味ながら結構良くて、個人的には「OK!」だ。

前記リンクのニュースによれば、悪の秘密結社ショッカーに改造された科学者、本郷猛が、自我を取り戻し、刺客として送り込まれた一文字隼人とともに、ショッカーに闘いを挑む、という骨子の中で、改造人間としての葛藤なども描かれていく、ということなので、オリジナル世代をターゲットにしてもいて、子供限定ではないようので、それなりのストーリーと映像であることを期待しよう。

死神博士とかも出てくるのだろうか・・・
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2005年05月02日

月9「エンジン」

普段からTVドラマは見る方ではないのだが、何故か見てしまうドラマがあって、しかもなぜかフジ系だったりする。「白い巨塔(唐沢寿明版)」、「救命病棟24時」、そして今、月9で放映中の「エンジン」。

「エンジン」は、F1のマレーシアGPの中継で木村拓哉がパドックを訪れている様子などが紹介されていて、放映することは知っていた・・・が、例によって事前情報不足で、またまた、ajitamaさんのブログで放映されていたことを知った次第(^-^;)。初回は見逃したが、2回目以降は見逃さないよう、DVDレコーダを毎週録画にセット。

ということで、今日は3回目。主人公神崎次郎が、かつての恩師、一之瀬に、強引にテストを頼み込んで、ファーストドライバー、比呂人とのマッチレースの約束を取り付ける・・・という合間に、児童養護施設の子供達のエピソードがクロスしていく。今回は、「逃げることは負けと同じ」という次郎の台詞に集約されるエピソードだが、子供にはちょっと(荷が)重いか。と思いつつ、それが次郎自身への台詞だと思えば、たった一つのシートを目指すほんのわずかの道をたどるドライバーの厳しさを垣間見ることができる。

TVドラマなだけに、「赤いペガサス」(古っ)とか「エフ」のようなストーリーになりようがないのはわかっているが、レースシーンや関連シーンをできるだけ多く描いてもらいたいもの。

それでも、これだけサーキットやレーシング・フォーミュラが登場するドラマはこれまでにないだけに、それだけでも嬉しい。サーキットが改装された富士スピードウェイ、F3協力がTom'sと、もろトヨタの宣伝というのが気に入らないと言えば気に入らない(^^;)が、良しとしよう。

ajitamaさんみゅーきーさんのご両人から「30過ぎてF3復帰はないだろ〜」と突っ込まれている設定は、Fぽん復帰じゃさすがにストーリーに無理がでるよな、ということで、でもドラマ自体は面白くなりそうだ。脚本は「白い巨塔(唐沢寿明版)」も担当した井上由美子。この点でも安心できるので、楽しみ。

ところで、小生意気なぼんぼん新人ドライバーというと、どうしても星野アキラを思い出してしまう僕というのは、古いな〜。
posted by おだまさ at 23:49| Comment(1) | TrackBack(1) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月08日

白い巨塔(唐沢寿明版)

whiteTower2.jpg白い巨塔(唐沢寿明版)

昨年の夏頃にレンタルして以来はまってしまった唐沢寿明版「白い巨塔」。その後、田宮二郎(劇場版)に手を伸ばし、原作の文庫全五巻も読み終えた。そして、昨年末に放映されたアンコール版「白い巨塔」の全3回をようやく見終えた。ということで、ブログに感想をアップしたい。

リメイク版では物語の始めから、財前と里見の複雑な人間関係、すなわち同学の徒であり、互いに医者としての腕は認め合い、意識するしないに関わらずかけがいのない同僚でありながら、医者のあり方あるいは患者に対する価値観が相容れないという意識の衝突を明確に描いており、それが最後まで物語の横糸となってストーリーを支えた。原作の控訴審編での二人の描き方を物語の始めから踏襲していると言える。

一方、原作では二人の子供を持つ財前だが、このリメイク版では子供がいない。この設定の違いは意味深である。財前は幼き頃に父を亡くし、母一人子一人の家庭で勉学に励み、国立大医学部へ入学した。そして俗に言う逆タマのような形で財前産婦人科に婿入りし、それが彼を教授にまで導く布石となっている。

財前は、医学部に入学する、医者になる、講師になる、助教授になる・・・と次々に目標を持ち、そして遂に教授戦にありとあらゆる手を用いて勝ち抜き、教授となった。財前は常に何かを乗り越えようとする衝動にかられていたようである。そんな財前はまた、常に里見と東前教授にうち勝とうとしていた。東との確執は、東側に若き彼を妬む気持ちや、(慣れない)政治屋としても自分が立ち回れることを(鵜飼に?)示したかったという自覚しない欲望があったがためであり、そのために財前の、東を乗り越えたいという野心と真っ向からぶつかり、世にも醜い教授戦に発展してしまった。

その一方、東と同じく教授である鵜飼に対して、財前はおもねるだけである。いや、料亭でのふとした表情から策士としての鵜飼を軽蔑していたと読みとれる。乗り越えるべき東、里見と、おもねるだけの鵜飼。言い換えれば、東や里見は、それだけ財前の心に強く作用していた、近しい存在だったはずである。

更に言うと、財前が東や里見を目の敵にし、彼らになんとしても勝とうとするその一つの要因は彼らが財前の心理的な"父"であったからであり、彼らを乗り越えてこそ自分自身を確立できると彼自身知らぬ内に思いこんでいたのではないか。財前が自我を確立しようとあがいている男子であることを、子供がいないという設定が暗黙に示していたのではないかと思う。

教授戦、医療裁判を通じて、文字通り敵味方に別れた争っていても、自身の病状を前にしたとき、信頼できる友人は里見だけであり、外科医は東だけであるというほどの信頼関係が財前と彼らの間には築かれていたのだ。克己心、というより乗り越えて高みに上るという生来の意志の強さが里見や東をして財前の敵にならしめたが、東を偉大な恩師として、里見を偉大なライバルかつ同僚として認め、その上で切磋琢磨していくという道もあったはずである。それができなかったところに、彼の悲劇があったと言わねばなるまい。

里見には晴彦というやや病弱の息子がいた。東には息子(ただし、自殺したとされるが・・・)、そして愛娘の佐枝子がいた。彼らには護るべき子供がおり、自ずと父親としての役割を担っていた。それに対し財前には、仮面夫婦としての家庭しかなく、護るものはなにもない。それ故に財前は彼らを敵として乗り越えて行くしかなかったのかもしれない。

後半、財前は裁判で敵となる里見に、自らが設立する癌センターの内科部長となることを求める。これは、裁判の証言に手心を加えて欲しいという意味よりも、里見に対して、彼が望む(はずの)地位を与えることで、彼と同列になるあるいは彼を乗り越えることができるという無意識の意志の現れと見るべきだろう。

物語の後半は医療裁判を軸に進むが、その裏には死と再生というプロットが隠されているように思う。それは、佐々木庸平の死が裁判の勝訴により広く他の患者を救うことになるだろうということ以外に、財前自身、そして彼の家族にも見て取ることができよう。財前の義父、財前又一は産婦人科病院で荒稼ぎして財をなし、その富を使って財前を教授にして自らは教授の父という地位を手に入れようと暗躍した。財前又一の娘、杏子は父のそんな気持ちを知ってか知らずか、教授夫人という地位につくことだけを願った。まさに離散していた仮面"家族"であるが、そんな演技もいつしか本当の気持ちに変わっていたことを財前の病によって知らされることになる。

里見の診断によって自身の真の病状を知った財前が、大学病院のベッドに付き添う義父又一に、教授戦のさなかに与えられた豪奢なライターを返すシーンがある。「退院してももう煙草は吸えないから」という財前に又一は絶句して動揺を隠すようにつまらない洒落を言うしかない。その後に「また二人で楽しい夢をみような」と語りかける。これは確かに感傷的なシーンだが、父のいない財前、息子のいない又一にとっては、確かにそのライターは親子の絆を象徴するものでもあったろう。そして、財前がいよいよ危篤となったとき、「わしが無理させ過ぎたんや」と悔悟の念に駆られる又一には、教授戦の折りに「財前五郎という株に投資したんや」と言い放った強欲な姿は微塵も見られない。又一は、財前五郎がかけがえのない自分の息子だったことに気が付いた。

杏子の場合は複雑で、財前が本当に愛する女性がバーのママのケイ子であることを知りつつ、教授の妻を演じていた。自分が妻というプライドだけを頼りに。しかし、財前がもはや助からないということを知らされるや、彼女はケイ子にそのことを告げ、見舞いを許してしまう。しかも、ケイ子が持って来るであろう花束のために、病室にあった花束を自ら片づけている。このシーンの後は、杏子は財前が死去した傍らで泣き崩れるシーンまで出てこない。この間の彼女の思いを想像するに、それはあまりに悲恋で合ったように思う。彼女もまた、財前五郎がいなくなることで、自分が彼を深く愛していたことに気付かされたに相違ない。彼らは最後の一時、家族としての絆を取り戻したのだ。財前の死により、彼らはそれぞれの生を取り戻した。しかし、それは、彼らが望みさえすればすぐ手の届くところにあったに違いない。

リメイク版が原作と異なる描写は多々あるが、最も違うところは、里見が財前を診察した時、正直に末期癌であることを告げるシーンだろう。原作にはないこのシーンはしかし、二人の友情を見るものに力強く印象づけた。自分の身体が、自分の診察通りの手の施しようがない癌であったことを里見から知らされるこのシーンは、一切のBGMを排した静謐な台詞のやり取りで綴られた。

「君の不安を受け止めたいんだ」という泣き出しそうな里見に、青白い顔をした財前は「不安は無い」と言い切る。しかし、里見の心に触れた財前は、人前で見せたこと無い涙を懸命にこらえ、「しかし、無念だ」と里見にだけ自分の正直な心情を吐露した(唐沢寿明屈指の名演だ)。彼が教授室で自分の病状を悟って、一人嗚咽を堪えていた孤独があふれ出ているこの一連のシーンには涙を禁じ得ない。彼の孤独は、また自分の手術を最も執刀して欲しい医者つまり東に自分から手術を頼むことができないという描写にも現れている。里見を介してその想いは東に伝えられる。文字通り、里見だけがただ一人信じることのできる友人だった。

結局、財前は佐々木庸平の診察に対してどういう想いを持っていたのか。ラストでも財前は上告の意志を変えていないことは手紙が残されていたことにより明らかだが、ケイ子との病院屋上での会話からは、色々考えさせられる。「俺は間違っていたのか・・・?」財前がこの問いをもっと前に発していたら、物語は変わっていたかもしれない。彼は自分の言うとおり真剣に仕事に向き合っていたに違いない。しかし、それが"人の生死"と向き合うことと、ほんのわずかにずれていたことが彼の不幸の始まりであったろう。ところで、この屋上のケイ子とのシーンだが、交わされる台詞はあまりにも凡庸であるにも関わらず、まさに彼女が発することによって珠玉の台詞になっていたと思う。愛する人を永遠に失う哀しみにあふれていた。

裁判の上告を取り下げないことから、彼が自身の行いを何ら反省していない、すなわち財前は救われないと判断することは軽率だろう。財前が始終、患者の中に佐々木庸平の幻を見、そして意識が混濁した後も譫言で、自らが設立した癌センターに佐々木を入院させ、里見とともに診察する事を口走ることからしても、財前の心の奥底では佐々木に対する贖罪の念があったに相違ない。そうであってもなお、上告をせざるを得ないところが財前の不幸である。

財前は冷酷非情な悪役か、と問われれば、かれは悪人ではない、悲劇の人であったと応えよう。それは志半ばで道を降りた故にではなく、彼の心が持っていた"飢え"が癌のごとく回りを倒すことでしか満たされないと彼自身が思っていたが故である。

「白い巨塔」は医療現場の封建制、構造的な患者軽視の体質を描いた物語である。その一方、財前という一人の人間のどうしようもない孤独と悲劇を描き、そして財前と里見の間の、複雑なしかし深い絆で結ばれた男同志の友情を描いた類い希な作品であったと思う。
posted by おだまさ at 00:27| Comment(0) | TrackBack(2) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月08日

ULTRAMAN

家族向けのイベントに行ったら、イベント間の場つなぎの映像で映画「ULTRAMAN」のダイジェストがかかっていた。

・・・。結構、目を奪われてしまった。

映画になっているとちらりと耳にしたことはあったが、映像を見たのはこれが初めて。往年のウルトラファンで未見の方は、公式サイトをご覧になってみては。

最近のウルトラ物は、コスモスを少し見たことがあったが、メカや光線技のCGの華麗さに見とれたものだ。それより少し前のビデオ合成とは違い、このクオリティなら映像的には十分合格点、と思っていた。

この映画は、当然それ以上に気合いが入っている。印象的なのが、新宿副都心を鳥瞰で見下ろすシーンで、ウルトラマンが下から上昇してきて、そのままカメラがウルトラマンの上昇を捉え飛び去る後ろ姿を追いかけるというところ。こういうシーンはこれまでのウルトラ物には無かったはず。

その後、ダイジェスト版では敵役となる怪獣との空中戦なのだが、少しのシーンを見て思ったのは、
(お、ドラゴンボール(アニメ版)?)
ドラゴンボールの戦闘シーンの描写は上手いなあと思っていたので。

ウルトラシリーズと言えば、科学特捜隊とかウルトラ警備隊なるチームを思い浮かべるが、この映画は自衛隊メインで、そういう特殊チームは無いみたい。でも、変にそういうのを出すとシナリオに無理が出るから、今回のあらすじは、上手くまとめているように思う。

シナリオ、映像とも、初代マンやセブンからすれば隔世の感がある。そりゃ30年以上開きがあるのだから当たり前。それでも、先日友人宅でセブンのDVDを見る機会に恵まれたけれど、それは特撮的には当時レベルのものであっても、雰囲気は決して古くさくない。もしかしたら、それは昭和40年代という時代のレトロな感じのせいなのかもしれないが、それでもホーク1号発進シーンなんかは、最近のウルトラシリーズ(コスモスしか知らないけれど)では描写の雰囲気が比べモノにならない。CGでの映像は確かに華麗で見応えはあるが、セブンの「史上最大の侵略」とか新マンの「怪獣使いと少年」なんていう作品が今作りうるかと言えば・・・やはりできないと思う。やはりウルトラシリーズも時代を映す鏡だ。

それでも、僕はけっこう最近のウルトラシリーズは認めている、というか、良くできているのだろうと思っている。この映画で気になるのは、ウルトラマン自体もCG描写が増えてきているので、着ぐるみシーンとの違和感がないのかな?というところ。とりあえずスペシウム光線はあるようで安心。

劇場で見てみたいと、実は思っている。

ところで、スタッフリストに"フライングシーケンスディレクター:板野一郎"とあるのだけど・・・板野サーカスは健在、ということか。最近すっかり疎くなっているので・・・。
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2004年12月20日

白い巨塔(唐沢寿明版)・アンコール放送

唐沢寿明版白い巨塔の再編集版(ダイジェスト)が3回に分けて放送される。
12/17(金)午後9:00〜10:52『白い巨塔〜序章・野望』
12/24(金) 午後9:00〜10:52『白い巨塔〜第二章・裁き』
12/30(木)午後9:30〜11:54『白い巨塔〜最終章・無念』
関西テレビ放送予定

このリメイク版で「白い巨塔」にハマった僕としては、なかなか嬉しい企画。全回、標準録画予定。

第一夜の序章はすでに放送が終わっているが、録画しておいて観た。まだ半分しか観れていないが・・・さすがに、端折りまくっている。全21回を6時間強に再編集するわけだからやむを得ないとは思うが、オリジナル放映版を知らないとちょっと展開が速すぎるかも?。それでも、教授戦編を2時間にまとめ、医療訴訟編を二つに分けていることからみて、後半はある程度じっくりと観ることができるのではないか、と楽しみ。

「白い巨塔」については、このリメイク版を観て以来はまっていて、旧作の映画版、原作と経験してきている。映画版の印象についてはこのブログでアップしたが、原作、それからこのリメイク版についても後日、アップ予定。

さて、このアンコール版が放送されるとCMで知ったときの夫婦の会話。
夫:「おう、これは録画しなきゃ」
妻:「ビデオテープ買ってきてよ。今、空きがないから。」
夫:「・・・・」
奥様、我が家にはHDD+DVDレコーダなるものがあるのですが(^-^;)。
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2004年12月01日

蝦夷集落跡から刀の金具が出土

10〜11世紀頃の蝦夷集落から刀の金具が発掘され、それは兵庫県社町の清水寺で発見された刀の柄の部品(国の重要文化財)以外に例のない型をしているという(東奥日報2004/11/30の記事)。

蝦夷と言えば、「炎立つ」、あるいは「火怨」あるいは「風の陣」である(いずれも高橋克彦氏の小説)。この年代は前九年の役(1051年〜1062年)の頃すなわち「炎立つ」の時代だ。なにやら面白そうである。

この遺跡は青森県八戸市にある「林ノ前遺跡」。どうやら今は県道が走っており、遺跡の大半が失われたようだけど、過去4年間の発掘で、これまでの蝦夷観、東北観を変えるような出土品が見つかっている。それは、坂上田村麻呂の蝦夷征伐以降、支配が及ばなくなってきた朝廷が蝦夷を持って蝦夷を征する、という政策転換を行った後、前九年の役までは蝦夷の住み地域は平穏であったという通説を覆すような、戦乱の痕、つまり大量のやじりや縛られた人骨などの出土品であり、この遺跡自体が防護性集落の様相を呈していることもまた戦乱が合ったことを伝えている。

トップにリンクしたニュースで取り上げられている金具の存在は、朝廷と蝦夷の結びつけを考える上で重要な発見のようである。たしかに陸奥の八戸と西国の播州でのみ同型の刀が見つかるというのは興味深い。そうすると、青森県埋蔵文化財調査センターの三浦副参事が、蝦夷の戦乱を前九年の役前後の蝦夷の内紛と関連づけるのも面白い。つまり、前九年の役の前に、安倍頼時が朝廷側になびいた蝦夷を成敗するが、その戦乱の痕がこの林ノ前遺跡であるということらしい。

小説に描かれた「炎立つ」の世界がそこにあるようである。

参考:朝日新聞5/5の記事、東奥日報2004/9/15の記事

林ノ前遺跡については、八戸市のサイト内の埋蔵文化財情報「堀りdayはちのへ」にある「2004年度の発掘調査」内の林ノ前遺跡のページなどで見ることができる。

清水寺といえば、世界遺産である京都の清水寺をまず思い浮かべるが、その縁起には征夷大将軍坂上田村麻呂が深く関わっており、それと同名のお寺に蝦夷と関連のある刀が出土していたということが、偶然であるにしても何だか不思議だ。
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2004年11月23日

ドラえもんの声優陣、交替

新聞にも記事が載っていたので知っていたのだが、あらためてalfabeatさんのブログにエントリがあったので、ちょっと感傷的になってしまって、ブログに取り上げた次第。

来年4月から、主要声優陣を一新するのだそうだ。サンケイスポーツの記事によれば、番組放映25周年を気に若手声優陣と交替することが決定した。

ドラえもんの大山のぶ代さんをはじめ、のび太、ジャイアン、スネ夫、しずかの声優陣が軒並み65才を超える年齢であるということが主要因であるらしい。

さすがに最近は見ていないけれど、寂しいと言えば寂しいかも。

alfabeatさんも触れているけれど、声優の高齢化は長寿番組の宿命で、サザエさんのカツオ(高橋和枝さん)、ちびまる子ちゃんの友蔵(富山敬さん)、ルパン三世(山田康雄さん)など、番組途中、あるいはシリーズはあるのに途中でなくなられる方もいる。こういう時は本当に寂しい。

だから、声優陣の若返りは賛意を持って迎えて上げたい。ルパン三世は古川登志夫版が一本作られただけで、元に戻ってしまったけれど、声に迫力のない銭形なんて忍びなく・・・

ファンにとっては複雑これ極まりないのは確か。
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2004年11月08日

白い巨塔 劇場版(1966年)

白い巨塔劇場版白い巨塔 劇場版 (1966年)

8月に唐沢寿明版の「白い巨塔」を見て以来、はまっている。今は近くの図書館で山崎豊子の原作(文庫、全五巻)を読み進めているところ。

そんな折り、TSUTAYAの会員証更新サービスでビデオ一本無料というのがあったので、借りてきたのが、この田宮二郎版「白い巨塔・劇場版」、つまり「白い巨塔」の初映像作品だ。

これまでの様々な映像の「白い巨塔」の評判をネットで検索してみると、主演の故・田宮二郎を非常に高く推す意見が多いようだ。ということで、リメイク版にはまって以来、旧作に興味があったので、とりあえず借りてきたのがこの劇場版、ということだ。

制作が1966年(原作は1965年)ということで、モノクロ映像に代表されるように、古さは否めない。仰々しい音楽、独特な台詞回し、登場する女性陣が着物姿等々。それでも、当時の道頓堀とか、町中を走り回っている車(スバル360とか)などが楽しいし、当時の日本の雰囲気を感じることができるという意味では貴重だし興味深い。

確かに配役は豪華で、財前五郎役の田宮二郎はハマり役だというのがわかる。傲岸不遜なギラギラ感がある。財前だけでなく、鵜飼や財前又一、船尾など、政治的根回しに長けている役柄の配役は皆、どぎつさ、濃さがある。そういう意味では、リメイク版は薄味といわざるを得ないだろう。されどそれは、作品の出来不出来というより、それが制作された時代を映したモノだと思う。

その一方、医療の善たる面を担うはずの里見の描写はぱっとせず、力量不足であったように思う。医療に対する彼の思いはリメイク版の方がじっくり描けていたのではないか。東教授も政治的根回し不足で敗れた大ボスという感じで描かれているが、リメイク版の、学究肌で理想家っぽいが俗世の権力闘争に手を出してしまい敗れた、という感じの方が原作により近いし、何故彼がガンに冒された財前の手術を引き受けたかということへの説得力になっていたと思う。

見終わるまで知らなかったのだが劇場版の物語は医療訴訟第一審までで、財前が勝訴して里見が病院を去るというところで終わる。映画でこれを見せられれば、それは文句も言いたくなるだろうと思うが、当時は原作がそのように終わっていたのだから仕方あるまい。勧善懲悪にならないその後味の悪さこそ、白い巨塔というモノの本質と言えるかもしれない。

とにかく、この劇場版の特徴は、その描写の濃さ、泥臭さにあるだろう。それを人間ドラマと見る人はリメイク版よりも良い評価を下すだろうし、クールに見たい人ならリメイク版に軍配が上がる。ウチの奥さんはリメイク版の方が面白いと行って、途中で見るのを辞めてしまったが・・・。

僕はといえば、リメイク版から入ったということもあって、リメイク版の方が好きだ。この劇場版は文庫三冊分の原作を150分の映像にまとめ上げているため、どうしても省略と説明描写が多くなってしまうのだが、やはりじっくり時間をかけて心理描写できるTVシリーズの方がのめりこめる。特にリメイク版に見られた(大げさに言えば)「死と再生」というプロットが好きである。

最後に、特徴ある作品に仕上げた配役をまとめてみる。これを見るだけでも濃さがわかるというものだ。
財前五郎・・・田宮二郎
東教授・・・東野英治郎
里見助教授・・・田村高廣
財前又一・・・石山健二郎
ケイ子・・・小川真由美
菊川助教授・・・船越英二
鵜飼教授・・・小沢栄太郎
船尾教授・・・滝沢修
大河内教授・・・加藤嘉
野坂教授・・・加藤武
今津教授・・・下絛正巳
佃助手・・・高原駿雄
東佐枝子・・・藤村志保
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2004年08月21日

柔道日本!

アテネ・オリンピックの柔道の全階級が終了した。金メダルの数だけ数えても男子が3ヶ、女子が5ヶの計8ヶ。男女合わせて14階級なのだから半数以上を制覇したことになる。

いや、すごいなコレは・・・。

準決勝はおろか、決勝でも投げ技、足技で一本が決まるかと思えば、ポイントを取られた後に逆転の押さえ込み、とか、特に日本人選手の戦い方は見応えあったように思う。外国の選手とは、やはり試合への取り組み方がちょっと違うように感じる。

総じて男子より女子が大活躍だったが、表彰台の上ではどの選手も本当にイイ笑顔。それを見ているこちらまでほっこりした気分になってしまう。本当におめでとう。そして全ての参加選手に、お疲れさまでした。

ところで、柔道ではないけど、たまたま点けたTVでやっていたアーチェリーの山本選手の準決勝のタイブレイク、これも凄かった。惜しくも銀なれど、おめでとうございます。
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2004年08月15日

アテネ・オリンピック柔道で金メダル!!

おめでとう、谷選手、野村選手。

谷選手は4大会連続メダル、野村選手は柔道史上初の3連覇。なんて恐るべき人達だろう。4年に一度しかない大会で連覇を達成するということへの努力というのは・・・想像を絶するなあ。

男子柔道の実況が三宅アナだったのが少し嬉しかったりして<ちょっと古いF1ファン(^^;)
K-1も競馬も見ないもので。
posted by おだまさ at 01:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月11日

Windows XPをMacOS Xにする方法

Windows XPをMac OS X風にする(Hot Wired)ツールが人気を呼んでいるらしい。

Macを使いたいが、諸般の事情で使えないMacファンが、WinXPをOS X風にカスタマイズしているのだそうな。上記リンクのスナップショットは、確かにお見事。OS Xのデスクトップにしか見えない。Aquaの柔らかい感じも再現されているんだろうか。

僕もMacユーザなわけだが、会社ではやむをえず、Windowsマシンを使っている。それで考えることは同じで、タスクバーを上にあげる、アイコン類を右側に配置する、IEは使わないでmozillaを使う、アイコンをMac OS Classic風にする、なんてカスタマイズをやっている。OSがWin98SEなので、たぶん上記のカスタマイズ・ツールが使えないのは残念。

おまけに、僕が自宅で使っているMacも、7600/132の改造版なので、OS Xは走らない。うーん、どこまでもOS Xに縁がないものよ。
posted by おだまさ at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月01日

渡辺謙さん残念

"アカデミー賞…渡辺さん残念、「清兵衛」無念"
"謙さん、山田監督残念会見 アカデミー賞"

日本人として37年ぶりに助演男優賞にノミネートされた渡辺謙さんだったが、残念ながらオスカーを手にすることはできなかった。日本人が受賞するのは、(たぶん日本人というだけで)いろいろなハンデがあるから難しいのだろうと思う。それだけに惜しい。

実は渡辺謙、スゴク好きな役者さんである。多くの人は彼の代表作というとNHK大河ドラマの「独眼竜正宗」の伊達政宗を上げるだろうが、僕にとっては同じく大河ドラマ(だけどきっと凄くマイナー)の「炎立つ」の藤原経清を挙げたい!。

「炎立つ」についてはこちらの興味深い紹介文を参考のこと。

おそらく大河ドラマとしてはきわめてマイナーな「炎立つ」だが、特に第一部の渡辺謙さん、村田雄浩さんの熱演により見事に引き込まれた。雪の中の合戦シーンなどビジュアルでもすばらしかったと思う。

さらに、原作の高橋克彦氏の小説「炎立つ」が度肝を抜く程面白い。これほど引き込まれた小説は平井和正氏の「幻魔大戦」(^^;)以来だ。

それ以降、すっかり高橋克彦氏の小説世界に魅了されてしまった。
そう言う意味で同じく高橋克彦氏原作の大河ドラマ「時宗」に、時宗の父、理想政治の確立に燃える時頼役も、しっかり堪能させてもらった。主役の和泉元彌がかすんでしまうのも、さもありなん。

最初の方で毒殺されてしまう時頼だが、死の間近い時に仲違いの続いていた妻(浅野温子)と再び心を通わせ合うシーンなど、本当に心に染みた。

そう、渡辺謙さんは、そういう熱い役を演じさせたら右に出る者はいないと思うのだ。逆に、軽い役とかさらりとした役は不釣り合いかもしれない(今風のドラマとか)。そう言う意味で、時代劇はまさに彼の独壇場。特に高橋克彦氏描くところの熱い男は、彼のためにあるようなキャスティングだ。

ということで、バットマン5。どんな悪役になるんでしょうね・・・願わくば彼の良さが発揮される役であることを。
posted by おだまさ at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 気になるコト文系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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