2013年07月12日

南ドイツ出張覚え書き・(了)

覚え書き・3より続く)

 毎朝、滞在先の宿まで、打ち合わせ先の方が迎えにきてくれる。社有車のようだがメルセデスAMGのワゴン。南ドイツのこの界隈の道は、牧草地の合間を抜けていくので、歩道やガードレールがなく、景色と道が一体化している。こういう感じの景色が好きだ。
アルプスの山々

 ふと遠くに目をやれば、草原の向こうにアルプスの山々。冬になれば白くもっと美しいらしい。もっとも、この近くも雪だらけになって寒いのだそうだ。

 三日目の昼もイタリアンのオープンテラス。どこのイタリア料理屋もイタリア系の従業員が給仕してくれる。クリームソースのトッテリーニを食す。塩味がかなり効いていたが、美味い。オープンテラスでイタリア系給仕のこともあり、味わい深い。デザートに自家製ティラミス。今回の出張は、割とデザートを食べている。

 打ち合わせは今日で終わり。夕方には電車でミュンヘン中央駅へ移動。クーラーのない電車は、窓を開けても暑苦しい。汗だくになって今夜のホテルへ。ホテルにはクーラーがあるので、ようやく生き返る。

 夜はミュンヘン旧市街、旧市庁舎の先にあるビヤホールへ。建物の中も涼しくないので、オープンテラスにて。
ミュンヘンの夜

 連日のボリュームのある食事で、胃も疲れ気味なのと、旅程で食す機会がなかったため、好物のレバーケーゼを頼む。ビールはもちろんバイツェン。三種類の味わいを楽しむ。厚さ2cmはあろうかというレバーケーザ。日本のハム・ソーセージ店で買ったレバーケーゼは薄くスライスしてあったが、やはりこうでなくては。味も良かったのだが、実は打ち合わせ先の近くにある肉屋内の立ち食いコーナーで食べた、その店で売っているレバーケーゼが、僕の中では一番の記憶に残っている。このビヤホールのレバーケーゼはそこまでではなかった。

 ドイツを離れる最終日、昼はフランクフルト空港内で最後のドイツ料理にする。例によってバイツェンと、これも今回の出張では食べていなかったバイエルン名物の白ソーセージを2本に、プレッツェル。白ソーセージは、ナイフとフォークで皮を剥くのは至難なので、丸ごと食す。身は柔らかくて美味い。皮も嫌いではない。最後のドイツをじっくり味わって帰国便へ。

 帰りの便は、往きよりも混んでいて、ほぼ満席。4列席通路側の席だったが、やはりほとんど眠れなかった。往きに見た「Playing for keeps」をもう一度見たりして、それでも何とか眠ろうとし・・・無事、帰国。




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2013年07月05日

南ドイツ出張覚え書き・3

覚え書き・2より続く)

 翌日も相変わらず天気は雲一つない晴天で暑い。昼はイタリアン。三種類のパスタを厚手の皿に入れ、オーブンで?焼いたのをいただく。トマトソース、ホワイトソースそれぞれに美味い。ここでもオープンテラスに陣取る。どの店でもそういったスペースがあり、客はほとんどが屋外にいる。一人の老いた男性が、ワイングラスで水を飲みながら新聞を読んでいる様が印象的。

 夜はイルゼーの教会に隣接するビール醸造所のビヤガーデンにて。
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 名物の地ビールは、定番のバイツェンと熟成期間の長いものを飲む。思いがけず甘い味わいに驚く。

 食事はまずジャガイモスープ。期待したクリームスープではなかったが、ごった煮スープに細かく刻んだ西洋ワサビが少し浮かべられていて、しょっぱさの中に、わずかに辛さがある。メインは牛肉のぶつ切りを赤キャベツと一緒にブラウンソースで煮込んだものに、ジャガイモの練り団子(クネーデル)の付け合わせとサラダ。

 レタス、キュウリ(といっても日本のものよりはるかに太い)、トマトのサラダはドレッシングがかかっておらず、卓上のバルサミコ酢、オリーブ油、塩、胡椒をかけて食べる。存外美味い。メインの肉は柔らかく、味も良い。ジャガイモの練り団子は実は余り得意でなく、一つ残してしまう。デザートは苺とバニラアイス。日本で買うパックの半分位の苺の量に瞠目。毎夜ながら、これ以上食べられないほど満腹なり。

 食事の後、まだ日が落ちない中を散策。隣接する教会の中も見せていただく。ミサのためのコーラスの練習なのか、パイプオルガンの音色と合唱の声が響いていた。石造りの教会のこの音響効果は、宗教的儀式の雰囲気をいやがおうにも高めるだろう。日本の木造建築の寺社とは全く違うところだ。
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2013年06月29日

南ドイツ出張覚え書き・2

覚え書き・1より続く)

 宿泊した宿は田舎にある家族経営の民宿かペンションか・・・という感じだが、新館合わせて三階建てが二棟もある、けっこう大きな宿だった。下の写真は、そんな宿の周りの風景。芝生の広がる、綺麗な景色。まばらに建っている家々は、どれも白壁に赤茶の屋根に統一されていて、これも綺麗な景色の構成している。ゆっくり歩く時間がなかったが、近くには遊歩道が整備されているらしい。
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 朝食はバイキング形式。ドイツの丸パンに薄くスライスしたチーズ、ハム、ソーセージ、野菜の付け合わせを取る。飲み物はオレンジジュースにコーヒー。丸パンを半分に割って、バター、チーズ、ハムを挟んでサンドイッチにして食す。その他、炙ったソーセージ、茹で卵、フルーツの切り身を盛り付けたヨーグルト。滞在中、朝はすべてこのメニュー。

 昼は出張先の近くのレストラン。天気は晴天、気候も良く、オープンテラスで食す(料理は失念・・・)。

 日中はとにかく暑い!年に数日しかないような暑さだそうだ。それが夏前に訪れるのだから例年にない気象らしい。ドイツのオフィスの例に漏れず、クーラーが無い。そのため、打ち合わせは、窓を開け放した部屋で、ファンを回して、それでも汗だくになりながら行う。日本と違って湿度はないので、蒸し暑くはないのが救い。

 夜になると、といっても21時くらいまでは日が沈まないので、向こうの19時頃も日本の感覚では17時くらいか。日が落ちてくると気温も下がって、涼しくなってくる。

 夕食は昨夜と同じく、ホテル横のビヤガーデンにて。ビールはこれしかないというバイツェンを飲み続ける。食事は・・・スープは練り団子を浮かべたコンソメスープ。少々塩辛いが、美味い。メインには、豚の背肉と薄切りハムを巻いて、薄く衣を付けて揚げたものをクリームソースでいただく。いつもながらボリュームがある。デザートには、出張先の社長お勧め、ホテル特製の、瓶詰め苺ジャムにアイスクリームを載せたもの。苺の形の残ったジャムは甘さ控え目で食べきってしまう。日本ではこの季節には苺はもう出回っていないというと、向こうの人は驚いていた。デザートでも一品並の量があることにいつもながら驚かされる。毎食、満腹となる。

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2013年06月23日

南ドイツ出張覚え書き・1

 3年ぶりに南ドイツ(ミュンヘン近郊)への出張に行ってきた。過去、何度か行ったことのあるところだけに、懐かしさと目新しさの入り混じった旅となった。その覚え書き。

 フランクフルト行きのルフトハンザの機材はエアバスではなくボーイング747(4発のジャンボ)。エコノミー通路側の席で、10時間余を過ごす。機内で2編の映画を見る。まずは「のぼうの城」。地方の国が飛ぶ鳥を落とす勢いの秀吉軍の攻略に反旗を翻すのは、高橋克彦の「天を衝く」を思い出させる。舞台の山城、周りの農村風景や秀吉の軍勢の描写は良い。主演の野村萬斎は、適といえば適だが、うつけに見せて実は鋭いという人物像を描ききれなかった。次に 「Playing for keeps」(このブログに記事を起こすまで知らなかったが、今夏「スマイル・アゲイン」という邦題で全国公開)。引退したスターサッカープレイヤーの、離婚した元妻、愛息との家族を取り戻す話。およそ想像できる物語だが、それ故に安心して見ていられる佳品。少年役のノア・ロマックスとともに、元妻のジェシカ・ビールが良い。今の恋人と元の夫との間で、揺れ動く心をきめ細やかに演じた。吹き替え又は字幕を付けて、もう一度じっくり見てみたい。

 フランクフルトに到着後、入国審査を経てミュンヘン行きの乗り継ぎ便のデッキへ。コインを増やすためと、小腹を満たすためにスタンドでホットドッグを買う。手の平大の固いパン、20cmはあろうかというフランクフルト・ソーセージに、親指の倍はあろうかというピクルス。とてもパンに挟んで食べられそうにないので、それぞれ手掴みで食す。それぞれに美味なり。ソーセージの皮の噛みごたえと中身の味わいや良し。

フランクフルト情景

ミュンヘンと、その後の滞在先までの電車も遅延なく、夜9時過ぎに無事到着。思ったより涼しくない。ホテル横のビヤホールで夕食。まずビールは、ホテルの地ビールからデュンケルと普通のバイツェン。食事は、バイエルン地方特有の、色々な団子の入った定番スープと、茹でアスパラガスのマヨネーズソースにデミグラスソースがけの豚肉ヒレ2切、付け合わせに茹でたジャガイモをスパイスで軽く和えたもの。この時期が旬のアスパラガスは、径が1cm程度ある太いもので、ホワイトが5本、グリーンが2本。グリーンは根元がホワイトという、日本では見ないもの。太いのに噛みごたえを残しつ柔らかくて、筋もなくて食べやすい。ホワイト特有のややほんのり苦みのある味わいが良い。ソースをたっぷりと付けて食す。付け合わせのジャガイモもたっぷりとあり、白、茶いずれのソースともよく合う。満腹なり。

満腹と疲労で、ホテルの部屋に入るなり寝入ってしまう。時差ボケで4時ころから何度か目が覚めるのはいつもの通り。

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2013年06月10日

火星の空と中国の空

 火星の空が、火星で見ると茶っぽく見える、という前回のエントリー。それに関連して、昔撮った写真を思い出したので、それをアップする。
襄樊劉集空港

 場所は、中国湖北省・襄陽市(旧・襄樊じょうはん市)の襄樊劉集空港。襄樊は三国志で有名な諸葛孔明が若かりし頃過ごした町だそうだ。僕は仕事の用事で行ったので、観光はほとんどしていないが、この空港の周りは、それこそ荒涼とした荒れ地が広がっていたように覚えている。撮影は2年程前。

 空港周りも襄樊の市街地も、滞在した数日かは、いつもこのような曇りでもないが晴れでもない空模様。太陽もぼんやりとしか見えない。最近なぜか言われだしたpm2.5でもないが、舞い上がった砂や微粒子が浮遊して、光を散乱して、こんな空模様にしているのだろう。そして、火星の空も、こんな感じなのではないか、と(でも、襄樊では、地上が赤茶けて見える程、ではなかったけれど)。

 で、下が、キュリオシティのMastCamが撮影した生画像。赤茶というより薄茶。
SOl271rawImage


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2012年05月08日

皇居外苑

 外桜田門を抜けた後は、皇居外苑へ。

皇居外苑から見た外桜田門
 振り返れば、桜田掘を挟んで右手に見える西の丸の石垣の高さが目に付く。皇居外苑は西の丸下とよばれていたそうだが、なるほどその通り。かなりの高低差がある。

 再び桜田堀沿いに進んで左に折れると、石垣が途切れて、西の丸大手門(今でいう皇居正門)、いわゆる二重橋、そして伏見櫓の見えるスペースに出る。ここは写真撮影スポットなので、僕以外にも数人がカメラを構えて撮影していた。
二重橋前

なお、手前の正門石橋の陰で、二重橋(今の正門鉄橋)はこの写真では上手く写っていない。正門石橋の先の門が西の丸大手門、右手奥が現存する唯一の櫓と多聞の組み合わせ、伏見櫓と伏見多聞。

 西の丸大手門は、かつての江戸城西の丸の正門だが、今の皇居の正門とのことで、普段は閉まっているそうだ。また、元々は高麗門と櫓門が一直線になった枡形だった(長崎大学附属図書館蔵の明治初年頃の古写真(江戸城二重橋)参照)が、今は渡櫓門のみで高麗門は無く(明治21年に撤去)、その基礎となっていた石垣が、橋のたもとのせり出して残るのみ。明治21年というのは、皇居に建てられた宮殿が落成し、明治天皇の公務の場となった年である。
西の丸大手門

 この西の丸大手門、江戸時代(徳川家光時代?)から現存しているとか、関東大震災で倒壊/修理したとか、webの情報は幾つかあり、どうも定かでないが、関東大震災をくぐり抜けたように思われる。

 そのスポットを過ぎて、二重橋堀に沿って北に向かうと、また左手に掘を渡る道が延びて、その先にあるのが坂下門だ。宮内庁への入り口なので、橋のたもとに警備員がいて近づけない。しかし、遠くからでもその偉容はよくわかる。
Sakashita.jpg

 この坂下門、橋の正面に渡櫓門がそびえているが、かつては、高麗門がそこにあり、枡形をなして、本来の渡櫓はその左手にあったものが、明治21年に高麗門が撤去され、渡櫓門が現在の位置に移築されたそうだ。これまた長崎大学附属図書館蔵の明治初年頃の古写真(皇居坂下門と蓮池巽三重櫓)を見ると、ちょっとわかりにくいのだが、真ん中に写る二重橋濠の左手に、横から見た高麗門とそれに垂直に立つ渡櫓門が見える。ちなみにこの古写真の正面の箪笥多聞と蓮池巽三重櫓は明治前半に消失してしまったらしい。
 この坂下門、その近くで、文久2年(1862年)、老中安藤信正が水戸浪士を中心とする尊王攘夷派に襲われた「坂下門外の変」があったそうだが、寡聞にして知らず。
 
 これで皇居外苑を半分程度回ったことになるが、ふと、江戸城側ではなく、東京駅側、つまり現代の東京のビル群に目をやると・・・これが、思いのほかキレイで、意外だった。皇居の前、だからなのか、東京のビル達も悪くないな、と。
江戸城前、今の東京


 このあとは桔梗門へ。
ラベル:江戸城
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2012年04月11日

江戸城外桜田門

 虎ノ門辺りの江戸城遺構を散策した後は、霞ヶ関を抜けて、外桜田門(桜田門)へ。僕のわずかな江戸城散策の中では、初めて石垣以外の建造物と対面だ。

桜田門外見
 時刻は夕方、だいぶ日が傾いてきている。そんな西日に、外桜田門の白壁が光っている。枡形門の全景と堀とのコントラストがすばらしく、おまけに、背後に見える現代のビル群とのコントラストが、何とも言えず、不思議な雰囲気を醸し出している。

 堀を渡り高麗門に近づくと、例によって、説明パネルがある。
重要文化財(建造物)指定 昭和三十六年六月七日 旧江戸城 外桜田門

 現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対して、この名が付けられました。古くこの辺りを桜田郷と呼んでいたことに由来します。
 外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造からなり、外枡形という防御性の高い城門で、西の丸防護のため異例の大きさで造られました(三二〇坪)。建築されたのは寛永年間(一六二四〜四四)とされ、現存する門は、寛文三年(一六六三)に再建された門がもとになっています。大正十二年(一九二三)の関東大震災で破損し、復元されました。・・・

 これまで牛込見附跡で枡形門の跡を見てきたが、高麗門、渡櫓のある状態で枡形門を見たのは初めてだったので、夕日の中の外桜田門にしばらく見とれてしまっていた。

 高麗門をくぐって、枡形の中へ。しかし、この枡形門、周囲を桜田堀に囲まれているので、高麗門を抜けた正面には壁が無く、西の丸の石垣が見えている。高麗門をくぐって右手を見ると、巨大な渡櫓門が待ち構えている。幅三十メートル程度、本当に立派な門だ。
外桜田門の渡櫓門
 高さの半分以上をなす石垣と、その上の白壁、やや薄めの屋根、で美しく立派なのだが、どことなく顔に見えたりして、防護のための門なのに、なんとなく和んでしまう。

 基礎をなす石垣は、安山岩、花崗岩で作られていて、つぎはぎなコントラストが遠目にも美しいし、近くに寄れば、その巨大な石の組み合わせの妙に目を奪われる。
渡櫓門の石垣


 これまたひとしきり、たもとから巨大な石垣、門扉、白壁などを眺めて、感じ入った次第。この後は、皇居外苑へ。
外桜田門

ラベル:江戸城
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2012年03月08日

日比谷〜虎ノ門あたりの江戸城遺構

 最近このパターンが多いのだが、また東京出張があって日比谷で用事を済まし、また時間ができたので、今度は日比谷〜虎ノ門〜外桜田門と歩いてみた。このエントリは、日比谷〜虎ノ門。

 ということで、まず「江戸城を歩く(ヴィジュアル版)」で紹介されている日比谷にある江戸城遺構だが、今日は、日比谷公園の日比谷見附跡、ではなくて、日比谷セントラルビル隣の「物産ビル別館増築工事の際地下四メートル余のところから発掘された」(紹介プレートより)石垣だ。
HibiyaStone.jpg

 同プレートによれば、
江戸時代のこの通りは、江戸城の外濠に面し、河岸通りと呼ばれ、・・・賑わいのあった所です。ここに積まれている石は、寛永十三年(1636年)三代将軍徳川家光が多くの大名の助役によって、江戸城外郭の南側(虎ノ門の東)を築造する時に使用した・・・ものです。・・・この附近の石垣は、九州各地の諸大名に割り当てられ、石材は真鶴や根府川あたりから切り出し、海路を運ばせたもの・・・

 セントラルビル南側にこつ然と残っている遺構。メインの通りからそれた脇道なのか人通りも少なく、寂しげなのは否めない。

 日比谷から虎ノ門に向かう途中、東京桜田ビルの横を通るが、このビル、「江戸城を歩く」で紹介されている通り、外堀がカギ型に屈曲していた場所に建てられたため、形がいびつになっており、面している交差点も十字路ではなく、かつての外堀に沿った道がずれている。外堀を埋め立てた後に作ったであろう街並なのに、外堀の形が残っている、ということで江戸城のリアルを感じられる。

 そのまま歩いて虎ノ門へ。商船三井ビルの脇の三角コーナーに、緑に覆われているものの、ごつい石で組まれた、毅然とした石組みがある。ここから、外堀通りを挟んで文部科学省構内にある石垣までが「国史跡 江戸城外堀跡 溜池櫓台」である。
ToranomonStone.jpg

 例によって、説明プレートが近くにあるので見てみると、
この付近の石垣は、寛永13年(1636)に因幡鳥取藩主池田光仲によって構築された櫓台の一部です。この地域の江戸城外堀は、虎ノ門交差点付近に虎御門を置き、そこから文部科学省に現存する3地点の石垣を通過して、この櫓台石垣に至ります。

とのこと。この櫓台、堀が直角に曲がっている角に立っている隅櫓で、外堀にあった隅櫓は、この虎ノ門以外には、筋違橋門と浅草橋門だけにあり、石垣が現存しているのはこの虎ノ門だけだそうな。

 現存しているといっても、石垣の本当に一部だけが、やはりビルの谷間に無言で残っているだけなのだが、その整えられた形は、当時の石垣の美しさを彷彿とさせる。

 上の説明書きにあるように、外堀通りを渡ると、文部科学省構内に点々と三カ所、石垣の一部が残されている。特に隅櫓から見て2番目の石垣は、地下鉄に下る階段の一角に説明スペースが設けられ、当時の江戸城の様子や石垣についての細かな説明を見ることができる。
ToranomonStone3.jpg

 説明スペースの胸の高さ付近(上の写真でいう下の草が生えている辺り)が当時の外堀水面高さになっていて、そこから石垣を眺めることができるのがなかなか面白い。石の表面には、構築大名である豊後佐伯藩二万石毛利高直を示す刻印もよく見ることができる。また、あるブログでは、2004年の発掘時の写真が掲載されている。発掘中で周辺の建物が無い分、より外堀石垣らしく、見えるものだ。

 文部科学省構内に、展示スペース付きで公開されているのが長さ33.5mの石垣部分。説明板によれば、この辺りは摂津三田藩三万六千石九鬼久高の担当箇所だったそうだ。ここの石垣では刻印がどこにあるのかはわからなかったが・・・。
ToranomonStone4.jpg

 それにしても隅櫓からここまで、石垣が点在してしまっているのが惜しい。外堀通りが横切っているし、遺構としては少なすぎる訳だが、歩道や文部科学省構内くらいには、外堀の跡を示すラインなど引いてもらえると、歩道橋の上からでも、今の車の往来の激しい外堀通りを眺めながら、当時の外堀に思いを馳せるのもやりやすくなるものだと思う。

 このあとは、霞ヶ関を抜けて、外桜田門へ。

ラベル:江戸城
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2012年02月26日

牛込見附跡

 小石川後楽園の石垣の後は、神田川沿いを引き返して再び飯田橋駅へ。西口の方に回ると、牛込橋のたもとに大きな石組みが見えてくる。これが、牛込見附の枡形門の趾である。
牛込見附跡の石組み


 牛込見附は、江戸城内郭の田安門(今の日本武道館辺り)から伸びている「上州道(今の川越街道)」が通る、重要地点だったそうだ。見附とは、江戸城外郭にある出入り口で、敵の進入を発見、防止するための見張り番の常駐する門のこと。敵が進入しにくいように、四方を石垣で囲った空間に二つの門が直角に配置されており、そのような構造を持つ門は枡形門と呼ばれる。

 見えている石組みは枡形門にある巨大な櫓門の基礎とな石垣である。上の写真は、櫓門を出た所から枡形門を見ている、という感じのアングルのはずだ。交差点側から見ても、十分大きな石垣だが、牛込橋を渡って振り返ってみると、JRの線路脇からそびえ立つ、さらに巨大な石垣の様子を見て取ることができる。電車の架線よりも高く積み上がっているのだから、その高さがわかるというものだ。これが枡形門を支え、外堀の中にそびえていたわけである。
牛込見附石垣


 石垣のすぐそばには、明治時代に撮影されたらしい、門が健在であった頃の写真と、牛込見附に関する情報が書かれたプレートが置かれている。それによると、
・・・牛込見附は、外堀が完成した寛永13年(1636)に阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。・・・明治35年に石垣の大部分が撤去されましたが、左図のように現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。・・・
牛込見附跡説明看板



橋から見る牛込見附の石垣は、看板の写真と似たアングルになるので、高麗門と櫓門が建っていた当時の偉容がイメージできるというものだ。

 なお、こういう江戸城遺跡巡りをするきっかけとなった本「江戸城を歩く(ヴィジュアル版)」で紹介されている牛込見附の石垣は、線路側の面全体がツタで覆われていて、悲惨な状況なのだが、僕が行ったときは、上の写真のように、大部分が除去されて、きれいになっていた。このことは、実は先の本の著者である黒田涼氏のブログでも取り上げられていた(2011年7月6日エントリ)。その時に比べると、またツタが生えてきているみたい。
ラベル:江戸城
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2012年02月12日

小石川後楽園の石垣

 東京に残る江戸城の遺構を巡る本「江戸城を歩く(ヴィジュアル版)」のエントリに前の東京出張時のことを書いたが、再び出張、今度は飯田橋周辺を歩く時間を持てたので、そのエントリをアップ。

 午前の現場が済んで牛丼屋で昼食を済ませた後、昼休みの時間を利用してあたりをぶらついてみた。まずは、小石川後楽園。水戸光圀が完成させた水戸徳川藩上屋敷庭園跡として有名なこの公園だが、中には入らずに、外側の石垣を眺める。「江戸城を歩く(ヴィジュアル版)」で紹介されているのだが、入り口から北に向かう築地塀の下側の石垣が、途中から東京駅付近で発掘された江戸城石垣を再利用して作られている。

 公園入り口脇にある案内板によれば、
・・・築地塀の石垣の一部(プレート設置箇所)は、江戸城鍛冶橋門北側外堀趾(千代田区丸の内一丁目)から出土した石垣の石材を使い、本園の作られた江戸時代初期(17世紀初頭)の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積の技法で再現しました。・・・
koishikawaPlate.jpg



とのこと。鍛冶橋門は、今も鍛冶橋通りと名前が残っているようだが、今の東京駅と有楽町駅の間、京葉線地下ホームのちょうど真上辺りにあったらしい。

 看板に石垣を築いた大名を表す「刻印」が残っているとあるが、果たして、備中成羽藩三万五千石藩主山崎家であることを示す(山)の刻印のついた石が多く積まれていた。濃い灰色の無骨な石垣だが、江戸時代初期からのものと思えば、その迫力を感じずにはいられない。
石材に残る山崎家の刻印


 人通りのほとんどない築地塀脇歩道を行ったりきたりして無骨な石垣を眺めながら、江戸時代に思いをはせてみた。

小石川後楽園の石垣


 小石川後楽園の後は、飯田橋駅西の牛込見附跡へ。

ラベル:江戸城
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2011年12月15日

東京から見た富士山

東京から見た富士山 出張で品川から一駅の大井町へ投宿。翌朝はゆっくりできる時間があったので、遅めの朝食を取りにロビーに降りようとすると、泊まったホテルの9階の窓から、澄んだ空を背景に雪を頂いた富士山が、きれいに見えた。「東京で見る富士山」は中々ない経験。江戸時代の浮き世絵に描かれた富士山を思い浮かべた。

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2010年04月10日

雪の札幌

100305hokudai.jpg もう一ヶ月以上前になる3月初旬、久しぶりに札幌に行ってきた。内地ではかなり春めいてきていたのに、新千歳空港のまわりはまだ一面の雪。札幌に入っても、結構な雪が残っていて、これもまた久しぶりの雪の北海道だった。

 写真はH大のキャンパス。東南側の門から入ってしばらくいったところの脇道で、木々も雪の冠をかぶっている。

 夜、用事を済ませて宿泊先のホテルを探して街中を歩いていて、そのしんとした静けさに、感じ入った次第。
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2007年11月20日

10月ドイツ訪問・その3

 関空からフランクフルトで乗り継いでミュンヘンへ。そこから電車で一時間ほど南西に下ったところにある小さな町Kaufbeurenカウフボイレンが、目的地の一つ。

 他のドイツの小さな町のように、このカウフボイレンも古くからの町並み、教会、城壁の残る綺麗な町で、古くは帝国自由都市の一つだったそうだ。

カウフボイレン城壁横

 これは、今も部分的に残る15世紀の城壁跡の外側から、カウフボイレンのシンボル的な塔Fünfknopfturm(webの翻訳によれば「五つボタンの塔」?)と、城壁の一部をなす聖ブラシウス教会を撮ったモノ。この塔は1420年頃に最初に建てられ、後に第一次大戦の戦没者慰霊塔となった。実は今も中に人が住んでいるという不思議な塔だ。聖ブラシウス教会は14世紀に建てられたものらしく、当時からの飾りモノが色々残っている、小振りの、小さな教会だった。

 既に日本にすれば冬の日射しの中、木々と芝生、そして青空と赤い屋根のコントラストがキレイだった。
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2007年10月31日

10月ドイツ訪問・その2

 ドイツの写真に行く前に、もう1枚、機窓からの風景。

東シベリア

 東シベリア、と言って良いのか・・・ロシア極東のどこか、だと思う。山頂付近が雪に覆われた、寒々とした果てしない景色。この辺りだと人の生活の跡はほとんど見えないが、たまに延々と続く道らしきものが見えたりする。

 おそらく僕の一生のうちにこの場所に脚を踏み入れることはないだろう、そう思うと眼下の景色が何か不思議なものに見えてくる。そこに住んでいる人たちとも出会うことはないハズ。とはいえ、地球上のほとんどの場所・人たちがそうなのであり、普段はそのことを意識していないだけ、というコトに気付かされる。
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2007年10月27日

10月ドイツ訪問・その1

 ほぼ1年前のエントリにも同じようなことを書いているけど、この10月に、またドイツに行く機会を得た。行き先は南ドイツのミュンヘン近郊。やはりプライベートではなかったのだが、土日を挟む行程になったので、観光めいたことをすることもできた。おかげで色々と写真を撮ることができたので、しばらく思い出整理に掲載していこうと思う。

 まずは、この写真。関空〜フランクフルト便のエアバスA340-600の機窓から見えた京都府・大山崎あたり。

淀川合流部

 写真上がほぼ北になる。中央右のサークル状の部分が京都競馬場。その脇を流れているのが宇治川(右から左に流れている)。宇治川の上が桂川で、遡れば京都市へ。桂川から右に分岐しているのが鴨川だ。宇治川の下は木津川。三つの川が合流してから左下に流れているのが淀川だ。合流点付近に桂川から宇治川をまたいでいる京滋バイパスがよく見える。左中ほどの山の中(天王山トンネル)を通っているのが名神高速。

 国際線に乗るときはたいていは、空きスペースが広く、席を立ちやすい通路側の席を予約するのだが、今回は急に決まったこともあって久々に窓側の席となった。それでも、こういう景色を楽しめるのだから、多少窮屈なのは我慢すればよいかナ、とも思う。
posted by おだまさ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月24日

久々のドイツ訪問

 久しぶりにドイツに旅する機会を得た。行き先はミュンヘン近郊。プライベートな旅行ではないので、あまり行動の自由はないのだが、今回は幸い日曜日が空き時間となったので、バイエルン地方の観光地の一つ、ヘレンキームゼー城(1878-1886)を訪れた。

 バイエルン地方の城といえば、真っ先にノイシュバンシュタイン城が頭に浮かぶが、このヘレンキームゼー城もまた、ノイシュバンシュタイン城を築いたルードヴィヒ2世の建築した、未完の城である(詳しくは、例えばWikipedia「ヘレンキームゼー城」の項参照)。

新宮殿

 写真は、ヘレンキームゼー城の「新しい宮殿」。ルードヴィヒ2世が理想としていたルイ14世が建築したヴェルサイユ宮殿を模して作られたそうだ。

 ノイシュバンシュタイン城もそうだが、これらの、国王の趣味を色濃く繁栄した城の建築は、バイエルンを財政難に至らしめ、国王自身をその玉座から追放する結果となる。その意味では愚政の国王だったであろうが、その中央集権な結果としてノイシュバンシュタイン城や、このヘレンキームゼー城が文化財として、かつ観光地として今のバイエルンに人々を集めているというところに、歴史の流れを感じた。
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2005年12月13日

車窓からの風景:雲間の光

 丹波の方をバスで回る機会に恵まれた。写真は、去年の台風で大水害が発生した某所。復旧工事はほとんど終わっているが、一部当時を偲ばせるような傾いた家屋が残っていた。堤防下の田畑の間にいると、この広い田畑が1〜2mも冠水したなど、全く信じられない。

 だから、というわけではないが、雲間から差す光が美しかったので、シャッターを切った。
M川付近
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2005年02月02日

ドイツ出張

KaufbeurenView.jpg出張で半年ちょっとぶりにドイツに行ってきた。行き先は南ドイツの地方都市KaufbeurenとGeretsried、それからアクセスの玄関となるMünchen。多少予測していたが、その想像を超えて寒かった。初日こそ曇天だったものの残りの5日間はずっと雪。気温は日中も氷点下(まあ打ち合わせをしている時は関係ないのだが)。

今回は珍しく、自由時間なんていうものがあって、Kaufbeurenの旧市街や Münchenを散策できた。写真は、旧市街の外れの高台からKaufbeurenの街を見下ろしたところ。色とりどりの外壁の綺麗な家々の向こうに教会の尖塔が見える。日本人から見たら、(キレイで雰囲気があるので)十分ため息の出る町並みなのだが、地元の人に言わせれば、ドイツは小さな街ほど良い(Kaufbeurenはそれほど小さくないので・・・)、ということだそうな。

今回はデジカメ持参で100枚程度写真を撮ってきたので、いずれ本家の「旅日誌」にアップ予定。

それにしても・・・仕事中は通訳がいるから良いけれど、自由時間は一人だから、結構緊張・・・特に食事のとき。もう少し英語が扱えないとなあ。
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2004年12月04日

機窓ごしの風景

機窓からの風景

久々の1泊2日の青森出張で、JALの伊丹ー三沢便を利用した(機体はJASのままだったが)。行きも帰りも晴天に恵まれ、窓際に席を取ったので普段見ることのできない鳥瞰の景色を存分に楽しむことができた。こういうことが好きだから、いつも窓際の席を予約してしまう。

上の写真は(たぶん)南アルプス越しに見える霊峰富士。軸対象の綺麗な形が見事。Coolpix3200で撮影して、Photoshopで色調補正をかけている(オリジナルの画像は実はもっとコントラストが薄く淡い)。
posted by おだまさ at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅先風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする